6.物と心と

 アーシャが表に出るとシャルは露店の台に並んだ様々な護符を熱心に眺めていた。
 色々なアクセサリーの形をしたそれらは彼女にとってどれも魅力的で悩んでいるらしい。
 その傍にはジェイとディーンも立っている。
 どうやら飲み物を買いに出たディーンを二人が見つけて合流できたようだ。
 アーシャは三人に声を掛けず入り口の脇に立ったままその姿を見つめ、今さっき言われた言葉を思い返して薄く笑った。

 三人と居る事で嫌な思いをしてもアーシャはちっともかまわないと思っている。
 少女にとって少し前までの学園の生活は大体が嫌な事と退屈な事の繰り返しだった。
 人が多いのも嫌だし、自分を珍しそうに見る視線も嫌だし、口うるさく指図されるのも嫌だ。
 授業は退屈だし、覇気の無さそうなクラスの人間は居ないも同然だし、一向に伸びない自分の背の高さも憂鬱だった。
 彼女の中で日常の全ては、嫌いじゃないから始まり、どうでもいい、好きじゃない、という分類に分けられていた。
 だがそれも三人と出会うまでの話だ。
 今は毎日がとても楽しい、とアーシャは感じている。
 彼らと共に過ごす時間が何よりも楽しい。
 自分を心配してくれたのも、怒ってくれたのも、力を認めてくれたのも、当たり前のことを聞いても馬鹿にせず答えてくれるのも、学園の生徒では彼らが初めてだ。
 そんな三人と一緒にいることが好きだ、と素直に思う。
 一度それを認めてしまってからはなんだかその思いが強くなっている気がしていた。
 まだそれを彼らに言った事はないのだけれど。

 だから、アーシャにとって彼らと離れる以上に嫌な事は今のところ存在しない。
 クラスメイトの忠告がどんな意味を持っていたとしても、そんな事に左右されて自分の心を動かす気は全くなかった。


「あっ、ねぇアーシャ、これとこれどっちが良いと思う?」
 外に出てきたアーシャを見つけたシャルが手招きした。
 歩み寄った少女に差し出されたのは、少しくすんだ赤色の小さな石が幾つも飾られた華奢な細工の銀の腕輪と、それよりも幅広で大き目の半透明の桃色の石が一つ嵌った金の腕輪だった。
 金の腕輪は銀の土台に金を薄くコーティングした物だったが、その分手頃な値段で丁度良い品だ。
 アーシャは差し出されたそれを手にとって交互に眺めると、こっち、と桃色の石の方を指した。

「こっちの方がシャルと相性が良いよ」
「赤はだめ?」
「んー……シャル似たようなのもう持ってる。それにこっちの方が細工も良い出来だよ」
 そう言ってアーシャは首を振った。
「そう、じゃあこっちにするわ、ありがとね! アーシャはこういうの買わないの? ここの店の細工はちょっと地大陸風らしいわよ」
「うーん……私はこういうの必要なら自分で作るから」

 中央大陸では庶民的なアクセサリーや護符と言えば革を土台や紐に使ったものが多い。広い土地を利用した牧畜もそれなりに盛んだから革製品が安いのだ。
 逆に平地が少なく鉱山が多い地大陸では豊富な金属を使った細工が多かった。金属加工の技術もとても優れている。
 コーティングの技術も地大陸の物だろう。
 細い鎖や針金のような銀線を何本も組み合わせたり、幅のある銀環に植物を透かし彫りにしたりと言ったデザインは確かに繊細で目を引いたが、アーシャはそれらをじっくりと眺めるに留めた。
 ここですぐに買い求めるよりも、いずれはこういう物を自分で作れるようにと目指した方がアーシャには楽しいからだ。
 材料専門の店に行けば専用の型やパターンを写した手本集もあるかもしれないからそちらを探して帰ろうと決めていた。
 アーシャが商品を違う観点から眺めている間に、シャルは手に持った腕輪をジェイに手渡した。

「ジェイ、これ買ってよ」
「……なんで俺が?」
「私の誕生日プレゼントよ。もうすぐだもの」
「まだ一ヶ月近く後だろ。大体そういうの自分で選ぶか普通?」
 ジェイは呆れた声を上げたがシャルはフン、と鼻で笑って彼の胸に指を突きつけた。
「あんたが選ぶのが毎年毎年変わり映えしないから、今年は私が自分で選んであげようっていうのよ。悩まなくていいんだから助かるでしょ?
 私の部屋もこれ以上ぬいぐるみやら人形やらで埋まらなくて済んで一石二鳥なの!」
「……未だにぬいぐるみを贈っていたのかお前は」
 ディーンに呆れたような白い目で見られてジェイは慌てふためいた。

「い、いいじゃねぇか! そもそもシャルが好きだって言ったんだぞ!?」
「えーえー、確かに私が言ったわよね、好きだって。四歳の時に! けどそろそろお互いの年とか考えなさいってのよ!」
 十年も同じようなものを贈り続けていれば流石にシャルが痺れを切らしても仕方がないだろう。
 むしろシャルの性格からすると年々大きくなるぬいぐるみやリアルさが増す人形に、お年頃になってからも何年も我慢し続けただけものすごく寛大だったと言える。
 しかも何だかんだ言っても実はシャルはそれを律義に全て部屋に飾っているのだ。その部屋の様子をディーンやジェイが見たら軽い眩暈を覚えるのは間違いない。

「十年も……馬鹿の一つ覚えという奴だな」
「ひでぇっ! そこまで言わなくても!」
 ジェイは打ちひしがれて思わずがっくりとしゃがみこんだ。
 確かにジェイもそろそろぬいぐるみや人形には限界を覚えてきていたが他に思いつかなかったしリクエストもなかったのだ。
「だからそろそろ新しいリクエストをしてあげようって言うんじゃないの。来年からこういうの選んでくれれば喜んで受け取るわよ?」
「うう……」
 それでも一応毎年のシャルの誕生日プレゼントを四苦八苦しながらも自分で選んでいたジェイは悩む様子を見せた。
 彼はどこまでも根が真面目だ。
 すると項垂れたジェイの脇に同じようにしゃがみ込んだアーシャがちょいちょい、とその腕を突付いた。

「ん?」
 顔を向けたジェイにアーシャは小声で告げた。
「あのね、それ、精神をバランスよく保ったり、女性らしさとかを引き出すようなそういう効果があるよ」
「よし買う。お姉さーん、これ幾ら? え、五シル? もうちょいオマケしてよ!」
 あっさりと宗旨替えして値段の交渉を始めたジェイをディーンは苦笑と共に見つめた。
 彼にもアーシャの小声が聞こえていたのでその気持ちはとてもよく分かる。
「アルシェレイア、あの赤い方は?」
「ん? んーと、あれはすごく元気が出るの。多分シャルには向いてるけど、でもシャルはもう似た様なのいっぱい持ってるし」
 なるほど、とディーンは深く頷いてアーシャの判断に賛同した。
 これ以上シャルの元気が出て勢いが増したらますます手におえないだろう。
 他に良い物がないかと余所見していたシャルはそんな会話も知らず、ジェイが買った腕輪を彼から受け取ると嬉しそうに早速腕に嵌めていた。

 「どう?」
 振り返って腕を見せて聞くシャルに、似合う、とアーシャも笑顔を返す。
 柔らかく光を通す薄紅の石と金の蔦模様が透かし彫りにされた幅広の腕輪は実際彼女に良く似合っていた。

 シャルの買い物も済みそろそろ移動しようと言う時に、アーシャは露台の端でふと気になる品を見つけた。
 近くによって手にとって見るとそれはチョーカーだった。
 目を引いたのはその石と細工だ。
 石は美しい半球形に研磨された大振りの草入り水晶で、透明度の高い水晶の中に別の鉱物である緑の線が沢山入っている。
 真ん中で重なった二本のヤドリギの枝ががその石を下から支え、緩やかにカーブを描いて囲うように斜め上へと伸びている。小さな実まで付いている精巧な細工だ。これに使われているのはちゃんとした金だった。
 けれど変わっている事に、そのトップを左右から支える形の紐はどうやら植物で出来ているらしかった。
 恐らく丈夫な蔦を細い繊維状にほぐし、それを編みこんで細く柔らかい帯状にしてあるのだろう。薄緑の帯はシンプルだがそれが逆に細工の美しさを引き立てていた。
 石の嵌めてある丸い土台には細かな古代文字が刻んである。

『草木が育つように 健やかなれ』

 良い言葉だ、とアーシャは思った。
 派手ではないけれど、作り手の想いを感じられるような暖かい品だった。
 石自体には、体や魔力のバランスを整えるのが目的の癒しの魔法が掛かっているようだ。
 紐が短めなのは幼い子供の為の護符にしても良いようにという配慮からかもしれなかった。
 蔓草の帯も肌に優しく当たるに違いない。この帯なら傷んでも取替えは容易だろう。
 素材やモチーフが良く調和した見事な出来にアーシャは感心した。

「あら、お目が高いわ」
「え?」
 不意に声をかけられてアーシャは顔を上げた。
 いつの間にかすぐ近くに店員の女性が来ていて、アーシャの手の上を覗き込んでいた。
 癖のある栗色の髪に水色の目の女性だ。彼女の持つ色合いはライラスと同じで、恐らく家族か親戚なのだろうと言う事はかろうじてアーシャにも分かった。
「それはうちの三代目が作った品なのよ。だから細工が一味違うの」
 その言葉にアーシャは頷いた。確かにこれは他の物とは少し違う感じがする。
 細工も、その込められた力や気持ちも。

「もううちの三代目はこういう細かい品物はほとんど作らないんだけど、気に入った石がある時だけ作るのよ。
 他の職人は作りたい細工に合わせて石を選ぶんだけど、三代目だけは石に合わせてその細工を決めるの。石がこうしてくれって言うんだって」
「へぇ……すごい」
「あはは、偏屈なだけよ! それだって、細工は一流なのに石が地味すぎるから売れないの。帯に蔦を使った変り種だしね。困ったものだわ」

 アーシャは首を振ってそのチョーカーを棚に戻した。
「そんな事ない。私でも欲しいくらいだよ」
「あら、ならいかが? お買い得よ?」
 アーシャはその言葉に少し悩んだ。
 値段を聞くと十シルだという。アーシャ一ヶ月分の食費くらいの金額だが、土台は金で更にこれだけの細工なら安過ぎるほどの値段だ。
 楽に払えるだけの持ち合わせはあったが、それでもアーシャは首を横に振った。
「似あわないしつける場所がないし。いつかこういうの、自分で作るからいいの」
 女性は頷くとにっこりと笑った。

「あら残念。でもじゃああなたも魔技師の卵なのね。うちの弟もなのよ。中にいたでしょ?」
 やはり彼女はライラスの姉だったらしい。
 アーシャは頷いて会ったと答えた。クラスメイトだったらしいと言う事は言わずに留めたが。
 三代目が作ったと言う事は彼の祖父がこれを作ったのかとアーシャはもう一度チョーカーを見つめた。
 いつか彼もこんな物を作るような職人になるのだろうか。
 そうなら少し羨ましいと感じた。
「……じゃあライバルかもね」
「ふふ、そうね。お嬢さんもがんばってね!」
 ライラスの姉の笑顔に送られ、アーシャは小さく手を振ってその店を後にした。
 いつか自分もあんな暖かな物を作れるようになろうと胸の奥にその面影を残して。






「そういえば誕生日って物を贈る日なの?」

 シャリシャリと本日二回目の氷菓子を突付きながらアーシャは三人に聞いた。
 四人は鐘楼の周囲の広場の一角、氷菓子屋の隣に用意された休憩用のベンチに座ってそれぞれ好みの食べ物を食べていた。
 彼らの足元には本日の戦利品がそれぞれ置かれ、特にアーシャはあの後色々な店を梯子して手に入れた材料や道具で埋もれそうになっている。良い買い物が出来たらしくその顔もどことなく満足そうだ。

 夕暮れが近くても夏の街は暑かったが、ベンチの上に掛けられたテントが眩しい西日を遮ってくれるので少しはましだ。良い買い物をして程よく疲れた後に食べる冷たい物は最高だった。

 アーシャが今度食べてるのは、甘い果汁を魔法で凍らせた物を細かく砕いて果物と焼き菓子を添えたものだ。
 木の器に入っていて、後で器は返すのだと教わった。
 隣と向かい側ではシャルとディーンが同じ物を食べ、ジェイだけは甘い物は苦手だと言って別の店で買った串焼きの肉を食べている。
 アーシャの質問に三人は驚いたように上げた顔を見合わせた。

「え……アーシャはしたことないの? 誕生日のお祝い」
「うん。そういうの教わらなかった。何か贈った方が良いの?」
「ううん、そういう訳じゃないわ。無理に何か贈るっていうものじゃないの。
 家族とか友人とか親しい人同士がその人がこの世に生まれた事と、一年無事に過ごして歳をとって、また新しい一年が始まることを祝うの。だからカードとか、おめでとうっていう気持ちだけでもいいの」
「大陸によって微妙に違うらしいが、この大陸では大体が親しい者同士でパーティでもして、ささやかな贈り物でもするというのが一般的だ」
「まぁそうは言っても実際はこうして俺のように贈り物を強要されることもある訳だけどな」

 ゴン、と鈍い音が響く。
 音がした一瞬後にはシャルはもう何事もなかったかのように氷菓子を口に運んでいた。頭を抑えてうめくジェイが可笑しく見えるほどの澄ましぶりだ。
 最近はアーシャもすっかりこの光景に慣れてしまってもう驚く事もなくなった。
 あんなに音高く殴られてコブも出来ないジェイの頭は丈夫だなぁと感心する程度だ。
 それともシャルの殴り方が上手いのだろうか?
 そんな事を考えているとディーンが彼女に声をかけた。

「アルシェレイア、君の誕生日は?」
「へ? ああ、んと……もう過ぎたけど七月の十五日」
「ええっ、もう終わっちゃってるの!? しかもついこないだじゃない、言ってくれれば良かったのに!」
「でもただの私の目安の日だし。ほんとの誕生日は知らないもん。
 七月くらいの森で拾われたから、その真ん中の日に歳を数える事にしてるだけ。だから別に新年でもいいくらいのものだよ」

 アーシャにとってその日は育ての親との出会いを思い出す日だ。
 とは言っても拾われた直後のしばらくの間の事をアーシャはほとんど覚えていない。
 だから拾われた日付もはっきりしないのだ。
 彼女にとっては切りがいいから真ん中にしてあるという、ただそれだけの日だった。
 しかしシャルにはそれだけで済ますことは到底出来なかったらしい。
「だめよ! 私は友達の誕生日を祝うのが好きなの! じゃあ、私の誕生日の時にはアーシャのも一緒に祝いましょ、プレゼントとか、ご馳走とか用意して!」
「ええ!? い、いいよ、そんなの!」
「だーめ、もう決定よ! どうせその頃なら森で一緒だもの。という訳でわかったわね野郎共!」

 シャルが海賊の女親分のように威勢良く少年達に宣言すると、おう、とかああ、と言った覇気のない返事が返ってきた。
 自分達に課せられた役割を思っての憂鬱さが声ににじみ出ている。
「でも……ほんとにいいのに。そんなのした事ないし」
 困った顔をするアーシャにディーンが首を振った。
「気にしない方がいい。どうせ君が辞退しても無理矢理開催されるのは目に見えている」
「そそ。シャルの誕生日があるからな。毎年休暇中だから時期ずらして新学期にやってたけど今年は休暇中に出来るから楽なくらいさ。それに……」
 ジェイは急に声を潜めてアーシャに囁いた。
「アイツ友達少ないから祝うの嬉しいんだよ。祝われてやってくれ」

 ゴン! と再びの鈍い音が辺りに響く。
「聞こえてるのよ!」
 今度の拳骨はさっきよりも効いたらしい。
 ジェイは頭を抱えて突っ伏して動かなくなった。
 呻き声すらも出てこない。
 しかしシャルはそんなものは目に入らないとばかりに上機嫌でアーシャの方を振り向いた。

「プレゼント、何か希望はある? 服とか小物とか……そういえばアーシャはぬいぐるみとか人形は好き?」
 アーシャはしばらく考え首を傾げた。
「ぬいぐるみは知らない……人形って、人を対象にした術を使う時の媒介にする奴なら知ってるけど、アレのことじゃないんだよね?」
「……違うわね」
「激しく違う」
「全然違うだろ……」

 三人に激しく否定されたアーシャはその後、似た所があるかもしれないと人型の媒介の作り方を図解入りで詳しく説明しようとしたが、残念ながら仲間達には聞いてもらえなかった。
 しかしその説明の中に「自分で作ったものでなくても人の形をしていれば使える」という発言があった為、三人の選ぶアーシャへの贈り物からはぬいぐるみと人形がそっと除外される事となった。
 少女がぬいぐるみや人形の何たるかを知る日は未だ遠いようだった。
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