5.不可解な忠告

「……まぁ、それは置いといて」
 アーシャはとりあえず話題を変えようと、プイと少年から視線を外してまた棚を見た。
「置いとくのかよ……」
 少年はぶつぶつと小さく呟いたが激しく突っ込む気力はないらしい。
 そこでもっとはっきりと突っ込んで自己主張が出来るようでなければアーシャに名前を覚えてもらう日はまだまだ遠い。
 なんといっても三年目でもまだ駄目なのだ。
 今置いておかれたらまた彼は忘れ去られるんだろうな、とディーンは思ったが自分の事ではないので追求しない事にした。

「バルドって事はこの工房の身内?」
「……ああ、俺が後を継げばもう五代目だな」
「ふぅん。これは全部ここの工房で作ってるの?」
 アーシャは棚に置かれた道具達を見ながら質問した。
 並んでいるのは実に様々な品々だった。
 魔具にも実用品から嗜好品、子供の玩具まで色々とあるが、この店はどちらかと言えば実用品の類を多く販売しているらしい。
 店内には店頭と同じような様々なアクセサリーの形態をした護符や、使い捨ての符の類、きちんと畳まれた旅装らしい服やマント、一見何の変哲もない砂時計や水晶球などが所狭しと並んでいた。防具や剣の形をしたものもある。
 壁にオーダーメイド受付の文字が書かれた張り紙がある所を見ると、自分に合わせた護符や杖、魔法を付与した武器防具の類なども作ってもらえるらしい。

「ああ、大体はな。光球なんかも一応置いてあるけどそういうのは余所から買ってる」
「あれは学園が特許持ってるもんね」
 少年は頷くと壁の張り紙を示した。
「うちのメインはあれだ。武器防具、杖のオーダーメイド。これでも結構な老舗なんだぜ」
 へぇ、とアーシャは感心したようにその張り紙を見つめた。
「武器とか防具全部ここで作るの?」
「いや、分業だな。大体は昔からの付き合いの職人に発注出して、仕上げはうちでやるんだ。杖なんかはうちで全部作るけどな」
「へぇ……じゃあ、ここが実家だから魔技科選んだの?」
 ライラスは誇らしげに少し胸をそらすと、大きく頷いた。
「俺はここの工房で育ったようなもんだからな。いずれはうちの看板継げるような立派な魔技師になるんだ。魔力は家族の中じゃ結構ある方だけど、魔法科よりもやっぱり魔技が良くてさ。もう俺の作った物、時々店に出してもらってんだぜ」
 少年の顔からは魔技師への強い憧れと誇りが伺えた。
 その手から何かを生み出す事を喜び、生きがいとする者の顔だ。
 アーシャはその笑顔を見ながら何となく今度は彼の名前と顔を憶えられそうな気が少ししていた。



 ディーンは二人の会話を聞きながら棚を眺め、見下ろしていた棚の端にあった小さな壷をなんとなく手に取った。両手で持って少し手からはみ出すくらいの大きさのそれは、持ってみると見かけよりも重たい。
 壷の蓋の天辺には持ち手代わりに楕円系の青い石がついていて、ふたにも壷にも美しい意匠の古代文字が彫りこまれている。
 用途が良くわからず見つめていると不意にその文字がぶれたように見え、ディーンは軽く軽く瞬きをした。
 するとぶれは治ったが、そのかわり何かおかしなものが見えた。
 手に持った壷のふたに、二重写しにするように半透明の魔法陣が見える。
 青い石を中心に空中に広がったその魔法陣は美しい青い色で、幾つかの言葉や記号が描かれていた。

「……?」
 ディーンはそれが何なのか理解しないまま、もう片方の手をそっと伸ばしてその魔法陣に触れてみた。
 けれどそこには何も存在しなかった。
 伸ばした手はすかすかと宙を切り、薄青い線をすり抜けた。
「ディーン、それ開けちゃ駄目。水が溢れるよ」
 小さな手が壷を持った彼の手に重なってディーンはハッと動きを止めた。
 その手に促され、壷をアーシャに渡すと彼女はそれをそっと棚に戻す。
 ライラスは面白そうに二人の行動を眺めて言った。
「よくわかったな、それが水の壷だって。でもふたは封印してあるから開ける為の言葉を知らないと開かないから大丈夫だぜ」
「水の壷?」
「ああ、ただの略称だよ。正式名は親父がなんちゃらいう洒落た名前付けてたと思うけど……まぁ、空気中の水分を勝手に集めて中に溜めるっていう道具なんだ。一人用だけど、魔法が使えない人でも旅行とかに一つあると飲み水には困らないのさ。
 ただ、閉じてある時間に応じて水が溜まって中で結構圧縮されてるから開ける時はうんと気をつけないと零れるって言うのが欠点なんだけどな」

 だからあんまり売れないんだ、とライラスは困ったように笑った。
 ディーンは棚に置かれた壷をもう一度見たけれど、あの青い魔法陣はもう見えなかった。
 だが、とディーンは胸の奥で思い返した。
 あの青い魔法陣に書かれていた文字、あれは封印を解く為の言葉もあったようではなかったか?
 けれどそれなら何故それが彼に見えたのか。

 ぶる、と頭を振ってディーンはおかしな考えを振り払った。
 何故か妙に喉が渇いた気がして、冷たいものでも飲みたくなった。
「アルシェレイア、表の店で何か飲み物を買ってくる。ここに居てくれ」
「うん、わかった」
 アーシャの返事を聞くとディーンは日差しの眩しい市場通りへと歩みを進めた。
 その背中をアーシャは少し不思議そうに見送り、やがて見えなくなった頃振り向いてまた店内へと意識を戻す。

「ここでは、今は何か作ってるの?」
「ん? ああ、いや。今は大市の時期だからオーダーの納期はずらしてあるし、市が立てば仕事は夏の休暇だ。
 祖父さんと親父も他の職人も大市の前ばっかりは皆オーダーよりも小物なんかを多く作るんだ。
 だからこの時期に店で売る小物はかなり出来が良いのが混じってておすすめなんだぜ。祖父さんや親父のがあるからな。俺はこっちに帰るとそれを売る手伝いして、その間に……ほら、これ」

 ライラスは一枚の紙をカウンターの下から出して広げて見せた。
 そこにはアーシャが普段から見慣れた様々な道具の図案が幾つも描かれていた。
「この夏の課題で、魔具作りに使う自分用の工具を幾つか作ろうかと思って。こういうのって店では在り来たりのしか売ってないだろ? 本当は魔技師は自分の道具は大抵自分で作るもんなんだ」
 様々な形をした彫刻刀やノミ、金槌や鋏といったそれらの道具はアーシャも勿論一揃い持っている。
 だが学園都市でセットで買ったそれはあくまで学生用で、確かに余り良い物とは言い難い。
「俺もそろそろ自分のを作ってみろって親父に言われたんだ。だからこの夏は店の手伝いしながらこれを完成させる予定なんだ」
「……いいね」

 アーシャはその図案を眺め、自分がライラスの作った物を今までに何度か見たことがある事に気がついた。
 描かれた図案の工具の持ち手に見覚えのある意匠化されたRの文字が入っている。
 これと同じ文字の入った魔具を、生徒達の作った魔具の品評会で見て感心した事がある。

(確かあの時は杖だったかな?)

 アーシャは昔見て感心したシンプルな細い杖を記憶の中から呼び起こした。
「……そう、確か、すごくシンプルな奴だった」
「え?」
「イチイの木に……銀線で模様を描いた水晶の杖」
 去年の終わり頃に授業で出た課題で、杖を一本作れというものがあったのだ。
 魔技科で良く出されるテーマが決まっている課題というのはその条件も事細かに決められている場合が多い。杖の課題も確かそうだった。
 長さは自分の腕以下、基材は木、金属を使う場合は銀のみ、石の使用は自由だがその等級は四まで、と言った具合だ。
 その条件の中で生徒達は自由に杖をデザインして作る。

 だが大抵の生徒は余り大人しいデザインの物を作ったりはしない。
 上級学部とは言えまだ歳若い子供達は、その子供らしい冒険心や自己顕示欲を思い思いに盛り込んだ派手なデザインのものを生み出す者が多いのだ。
 派手な彫刻が入った太くて持ち辛そうな杖や、色石がふんだんに散りばめられた女の子らしくけばけばしい杖といった見かけばかりで使用する事を全く考えていない物が目立つ中、シンプルなその杖は逆に目を引く物だった。

 少し細身で短めのイチイの柄は丁寧に磨き上げられ、派手な銀飾りや彫刻がなく握りやすそうだった。
 上に行くに連れて緩やかに太くなるその上部には細かな古代文字が同じ大きさで隙間なく正確に彫りこまれ、更にそこには細い銀線が一つ一つ丁寧に埋め込みにされていた。
 埋め込まれた銀がキラキラと控えめに光を返す柄の天辺には丸く研磨された水晶が一つ、シンプルながら透明な輝きを灯す。
 そしてそれは大きな力はない代わりに使用者の魔力を安定させ、収束しやすくする効果にとても優れていた。

 他の杖に比べると一見シンプルすぎるその杖は周りの子供達に、地味だの貧相だのと笑われていたが、見るものが見ればその美しさも仕上がりの確かさも、そして実際に使う上での安定度も郡を抜いた物だということがすぐに分かったはずだ。
 もちろん教授の評価は一番高かった事がそれを証明していた。
 恐らく魔法学部の学生用杖としてなら今すぐに求められ、役に立つに違いないそれにアーシャは随分と感心したのだ。
 だがこれを目の前の本人が作ったと言う事は全く知らなかった。

「銀の模様の一部に、小さくRって入ってた。覚えてるよ」
「……《ごぼう杖》だろ」
 ライラスは決まり悪そうに肩をすくめて、かつて同級生達がその見かけを見て口にしていたからかいの言葉を呟いた。
 自分の作品を卑下するような言葉にアーシャは不思議そうな顔をした。
「なんで? すごく良い杖だった。それを言ったら私のなんて《ただの枝》だし」
 その言葉にライラスは思わず噴出してしまった。
 確かにアーシャの作った杖は皆に密かにそう呼ばれていたのだ。
 少女の作品は細長い木の枝を使い、上部で枝分かれした木の形そのままを活かした奇抜な代物だった。
 枝の節に実と葉っぱが一つずつ残り、それは銀でコーティングしてあった。
 後は真ん中より少し下に銀の持ち手がついていて、そこに小さな緑色の石が一つはまっているだけ。
 シンプルと言えばこの上ないほどだ。
 けれど木の研磨や銀の持ち手の仕上げなどはとても丁寧だったし、しかも地の魔法に対して特化してその効果を増幅するという風変わりな杖と言う事で、個性を重んじる教授の評価はそれなりに高かったはずだ。

「でもあれただの枝って言っても、ヤドリギの枝だろ? しかも結構太かったし、見つけるの大変だっただろ?」
「うん。森の奥で探したオオバヤドリギだよ。よく育ったの見つけるの苦労したよ」
「やっぱりなぁ。あれ、俺は好きだったぜ。魔力が良く集まる良い杖だった」
「ありがと」
 アーシャは少し笑顔を見せてお礼を言った。
 同じ魔技科の人間に、自分の作ったものを褒めてもらったのは初めてだった。
 ライラスは学園では滅多に見ない少女のその笑顔を驚いたようにしばらく見つめていたが、不意に困ったように俯いた。

「なぁ、アーシリア」
「……アーシリアじゃないよ」
「あ、ゴメン、違うのか? 皆そう呼んでるから……」
「幾ら訂正しても皆憶えないみたい。だから私も、興味ないし憶えないの。言いにくいならアーシャかグラウルでいいよ」
「わかった、ごめんな」
 ライラスはそばかすの浮いた鼻を決まり悪そうに掻くと顔を上げ、さっきディーンが出て行った入り口とアーシャとを交互に見つめた。
「えと……お前さ、この辺に住んでるってわけじゃないんだろ? 観光?」
「そう。買い物に来たの」
「あいつと? あれって、アルロードだろ、剣術科の」
「うん。でもディーンだけじゃなくて他の仲間も一緒。シャルとジェイとはさっきはぐれちゃったけど」

 二人の名前を聞くと少年は一瞬更に困ったような、何かに迷うような顔を見せた。
 彼がそんな顔をする理由が分からず、アーシャは首を傾げた。
「何?」
「や、その……大した事じゃないんだけどさ。お前さ、あいつらと最近仲いいだろ」
「知ってるの?」
「そりゃお前、知ってるかって言や知らない奴の方がもう珍しいんじゃないか? なんていうか……お前は知らないかもだけど、普通は学部とか学科を越えて普段から一緒に飯食うほど仲が良い奴らって結構少なくて、それだけでも目立つんだよ」

 広い学園で、多い生徒数となれば必然的に毎日顔を合わせている者同士が仲良くなることが多い。
 基礎学部でずっと仲が良かった者達でも学部や学科が大きく分かれると疎遠になる事がほとんどだ。
 三年になればチームを組む機会もあるのでまた仲が良くなる者達も出てくるが、それでも実習のない時期は疎遠、という場合も多い。
 だから学部を越えて実習が終わった後でも度々一緒に過ごし、ましてや休暇の旅行に一緒に出かけるチームの話なんてライラスは今まで聞いた事がなかった。
 おまけにそのメンバーがメンバーなのだ。

「それに何よりさ……あいつらって色々有名なんだよ。俺らの学年じゃ一番目立つ部類に入る奴らなんだぜ?」
「ふぅん」
「ふぅんってお前……」
 少女の手ごたえのなさにライラスは頭を抱えたい気持ちだった。
 何からどう話せばいいのか分からず途方に暮れた彼はとりあえず思いつくままに不器用に言葉を繋げた。

「俺さ、お前の作る魔具、結構好きなんだ。変てこなもんも多いけど、丁寧だし、何か斬新でさ……お前だったら良い魔技師になると思うんだ」
 同じクラスになってからアーシャが課題として提出する魔具を見て、ライラスはこっそり彼女をライバルのように感じていたのだ。
 いつも授業は寝てばかりの癖に彼女の作る魔具は飾り気こそないものの、刻まれた文字も施された処理も丁寧で正確だった。
 逆に余分な飾りがないからこそ、長持ちしていつまでも大事に使えそうな良さがある。

「お前ってちょっと変わってるけど、良い物作るから、仲良くしたいって思ってる奴とかもいるみたいだし……」
 魔技科Aクラスでも、将来に余り夢や希望を持っていない生徒は実は多い。
 魔法に関わる仕事がしたいけれどさほどの適正がないと、基礎学部の頃から挫折を味わってきているからだろう。
 魔技師を目指しているくせに魔技師が嫌いだという連中を見ているのがライラスには辛い。

 子供の頃から魔具と魔技師に囲まれて育った彼には、その作品を見れば魔具を作る事が好きな人間とそうでない人間がすぐに分かる。
 そんな彼の見立てではアーシャはかなり魔具作りが好きな部類の人間に入るはずだった。
 だから、勝手だと分かっていても彼女にはその道を続けて欲しいと願ってしまう。

「こんな事、俺が言う事じゃないし……お前が嫌な気持ちになるって分かってるんだけど……」
「……?」
 首を傾げるアーシャに向かい、ライラスは言い辛そうに言葉を紡いだ。
「これ以上あんまり、あいつら三人と仲良くしない方が良い、と思う。お前のために……多分ならないから」
「……なんで?」
「その、お前が、そのうちきっと嫌な思いとかするんじゃないかと思うから」      
 アーシャはますます首を傾げた。

「……意味が良くわからない」
「意味が判らなくても止めた方が良いんだって! とにかく、忠告だから!」
 強く言ったライラスの言葉にアーシャは眉をひそめた。
「誰と仲良くするかなんて私の勝手。一緒に居たいからいるだけ。皆が嫌だって言わない限り、一緒にいるよ」
「それはそうだけど! でも……」
「アーシャッ!」

 ライラスの言葉は入り口から響いた明るい声に遮られた。
 光を背に受けてパタパタと入ってきたのはちょっと怒ったような顔を浮かべたシャルだった。
「もぅ、やっと見つけたわ! せっかく一緒にあちこち回ろうと思ってたのに居なくなっちゃって!」
「あ、シャル。ごめんね」
「あはは、いいのよ、冗談よ。アーシャのせいじゃないもの。あの人ごみじゃしょうがないわ」
 シャルはパッと笑顔を浮かべるとアーシャの手を取って表へと誘った。
「ね、アーシャ、ここの表の護符、なかなか良いと思わない? 良かったら見立ててくれないかしら?」
 いいよ、とアーシャが頷くとシャルは先に立って外に向かった。
 アーシャもそれに続き、店の入り口に向かう。

「おい、待てよ!」
 呼び止めたライラスにアーシャは足を止めて振り返った。
「心配してくれたって言うならありがとうって言うべきなのかな? でも私は嫌な思いなんてしないから大丈夫」
 ライラスは彼女の顔に目を凝らしたが、逆光に邪魔をされてその表情を伺う事は出来なかった。
 ただ少女の静かな声だけが街の喧騒に負けず、凛と響いた。
「私の心は動かないから」
「……!」
 入り口をくぐり明るい表通りに出て行く小さな背中にかける言葉をライラスはもう持たなかった。
 カウンターの後ろのイスに静かに腰を下ろし、少女の最後の言葉の意味を考えた。
「……俺よりずっと、強いってことかな」

 少女に忠告しようと思ったのはただなんとなくだった。
 けれど、友人と仲良くするその姿にかつての自分を重ねなかったかと言えばその自信はない。
 だが、少女から返って来た答えは、あの頃の自分よりもはるかに強く潔かった。
「あーあ、俺、かっこ悪ぃ……」
 カウンターに突っ伏して頭を抱えライラスは小さく唸った。
 余計な事を言ってしまったかと後悔しながら、けれど同時に小さく祈る。
 どうか、あの風変わりなクラスメイトが俺のような思いをしないように、と。
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