4.不機嫌な天気

レイアルに着いて二日目の朝。

『はぐれたら昼までに宿に戻る』
 そう約束して今日も街へ出かけた一向は、大通りに出て早々にアーシャを見失った。
 今日はアーシャとシャルは手を繋いでいたのだが、運悪く太ったおばさんにぶつかった時にその体に挟まれて二人は引っ張られ手が離れてしまったのだ。
 一度離れてしまうとどんどんと動く人並みに飲まれて流されていく小さなアーシャを捕まえるのは至難の業だった。

「もう! 炎でなぎ倒してやろうかしら、この人ごみ!」
「お前物騒な事言うなっての!」
「だってもう見えなくなっちゃったじゃない! 今日こそはアーシャと可愛いアクセサリーとか見に行こうと思ったのに!」
 そっちかよ、とジェイは脱力を覚えながら憤る少女を宥めた。
 こんな人ごみで本当に炎を出されては大惨事だ。最近シャルの魔法は炎に関して更に精度を上げ実力をつけている。
 炎の色が段々高温のものに変わってきているのも良く知っていた。

「そんなものは学園に帰ってから他の女友達と見に行けばいいだろう」
「何よそれ! ディーン、あんた女心が分かってないにも程があるわよ!? せっかくこんなとこまで来たんだから、地元にないデザインのを探すのがいいんじゃないの!」
「なら一人で探せばいい。アルシェレイアにそんな物の良し悪しが分かるのか? 他に目的があるのに付き合わされる方も迷惑だろう」
 だがシャルはディーンのその言葉をふん、と鼻で笑う。

「女の子同士なんだからちょっと一緒に買い物するくらい良いじゃないの。それにアーシャのセンスは悪くないわよ。アーシャは品物の材質や細工の良し悪しを見分けるのがすごく上手いの。魔技科だからかしらね? あの子は似合う似あわないをはっきり言ってくれるからすごく有難いのよね」
「……そんな事で良いなら幾らでも言ってやるが」
「あんたの思いやりの欠片もない意見なんてまっぴらごめんよ!」
 段々と剣呑になってきたディーンとシャルのやり取りに青ざめたジェイは慌てて二人の間に体を割り込ませた。
 道行く人も不穏な空気を感じるのか立ち止まった三人を避けるようにして遠巻きに通り過ぎて行く。

「まぁまぁ、往来で喧嘩はよせよ! 昼に宿に戻ればアーシャとまた合流できるかもしれないし! ディーンも、天気が良いからって機嫌悪くすんなよな!」
 ディーンはいつもの無表情な顔を幾分不機嫌そうに歪めて顔を反らした。どうやらジェイの言葉は図星だったらしい。
「まったく、天気が良いのが嫌いで晴れてると不機嫌になるなんて、あんたってほんと根っからの闇属性ね!」
「だからよせってシャル!」
 ふん、と鼻を鳴らしてシャルも顔を反らした。
「……昼には合流する」
「えっ!?」
 言い終わるが早いか、ジェイがそちらを振り向く前にディーンの姿は人ごみに消えていた。
 流れていく人の流れの向こうに時折黒い髪が見え隠れしたがそれもすぐに見えなくなる。

「あーあ、ったくもう」
「ほんと、勝手な男ね! アーシャが来てからちょっと丸くなったかと思ったけど、相変わらずだわ!」
 お前もだろ! という心の叫びを飲み込んでジェイは乾いた笑いを浮かべた。
 ジェイの内心の思いなど気にせぬようにシャルは彼の腕を掴んで軽く引っ張ると歩き出した。
「とりあえずあんたがいれば荷物持ちは確保だからまぁいいわ。行きましょ」
 どうやらジェイはいつものごとくどこまでも勝手な幼馴染に振り回される運命らしい。
 潔く諦めたジェイはシャルの向う方向に歩き出し、先に立って人波を避ける壁を作ってやった。
 生来の優しい性格とシャルの厳しい躾の賜物だ。

(アーシャと会う前は、いつもこんなだったっけか?)
 ディーンとシャルは本人達は決して認めないが深いところが結構似ていて、それ故なのか昔からごくたまにぶつかっていた。
 ジェイに関すること(主に進級などだが)では協力する事はあっても、それ以外でははっきり言って仲が良いとは言い難い。
 だが普段はジェイとシャルが言い争いをする事の方が格段に多く、女と言い争う事ほど時間の無駄はないと公言して憚らないディーンの方からシャルに突っかかることは極めて珍しい。

 ジェイはまだほんの数ヶ月なのに、アーシャが仲間になる前に二人をどうやって宥めていたのかもう上手く思い出せなかった。
 それとも宥めることもないくらい二人は接点を持とうともしていなかっただろうか?
 三人をそれと感じさせないまま自分のペースに巻き込んで、いつの間にか彼らを息のあった保護者にさせてしまうアーシャの存在が今のジェイには恋しかった。

(なんだっけ、これ。子はかすがいって奴か?)
 どこかピントのずれた事を考えながらため息を吐き、ジェイは人ごみの中を掻き分けながら歩いていった。





 ディーンは天気が良い日が嫌いだ。
 暑いとか日差しが強くて眩しいとか髪が黒いから日光を集めて熱がこもるとか、説明しようと思えば無理矢理に理由を付けられない事もないが、とにかくさしたる理由もなく昔から晴れた日が嫌いなのだ。
 だから夏場のディーンは大抵毎日機嫌が悪い。
 いつも無表情なので顔には出ないがジェイやシャルのように長い付き合いの人間にはそれは知られていた。
 こんな天気の良い日には真っ赤なシャルの髪を見ているだけで暑苦しくて苛々してくるのだが、勿論それを告げない分別は持ち合わせている。
 だからこれ以上の不毛な言い合いを繰り広げる前に二人の前から離れたのだ。
 だがこうして人ごみを歩いていると段々と苛々も募り、青い空がどうしようもなく疎ましく感じられて、隣を歩いている汗かきの男を不意に殴りつけたいような衝動を覚える。

(……いかん)
 自分が少し冷静さを失っている事に気づき、ディーンは軽く頭を振った。
 そもそもシャルがうるさいのはいつもの事で、普段の自分ならあそこでくだらない言い争いなどしなかったはずだ。
 どうやらディーンは彼自身が自覚しているよりもずっと不機嫌であるらしかった。

 ディーンが今歩きながら目指している場所は魔具などが売っている地区だ。
 広い市場通りも良く見ていけばその並びにはある程度の法則性がある。
 アーシャが向かうとしたらそこだろう、とディーンは予想していた。
 人の波に合わせて歩きながらディーンは前方に目を凝らした。
 暫く前方を見ながら歩いていると不意に自分の視界に違和感を覚えた。
 ディーンは元々視力は良い方だし、背の高さも手伝ってそれなりに遠くまで見渡す事ができる。
 だが、その距離が以前より随分と伸びている気がしたのだ。
 何だかかなり先を歩く人々の服の模様まではっきりと見える気がする。
 最近、妙に視力が良くなっている気がしていたがやはり気のせいではないのかもしれない。今までにないほど遠くまではっきりと見えてそれを半ば確信した。
 視力が良くなって困る訳ではないが理由が分からない突然の変化は気になった。

 気を散らして歩いていたら他人にぶつかりそうになり、ひとまずそれは置いて歩く事に集中する事にする。
 前方を見つめながら歩いていると不意に何となく気になる場所があるように思えて通りの右の端に視線を向けた。
 ひょこ、と人と人の間に一瞬だけオレンジ色の頭が見えた。それと白いマントも。
 ディーンは泳ぐように人波を掻き分け、出来るだけ急いで先を目指した。
 それが彼女だと言う確証がある訳ではないがどうせ向かう方向なのだから無駄にはなるまいと判断して先を急ぐ。
 もし少女を見つけられたら、今日こそは見失う前に捕まえようと決めていたのだ。


 昨日アーシャとはぐれた時はディーンは本当に驚いた。
 宿に戻って帰りを待とうかと相談していた三人の耳元に突然知らない男の声が響いたのだ。
 ひゅぅ、と吹きすぎていった風と共に聞こえたそれが幻聴でない証拠に三人共が同時に顔を見合わせた。

『探し物は鐘の塔に』

 ひとまず真偽は置いて慌ててこの街の中心に聳え立つ鐘楼に走ってみれば、立ち入り禁止のはずの鐘楼の天辺の窓からアーシャが呑気に手を振っていた。
 合流したアーシャを問い詰めると、鐘楼の点検に来た修理屋が三人に伝言を届けてくれた、という。
 名前も聞いてない男を信用するな! と三人に怒られてアーシャはしょんぼりとしていた。
 そんな事があったからこそシャルもアーシャとはぐれてあれほど憤っていたのだろう。

 だからとにかく、今日は捕まえる。
 ディーンはそんな事を考えながら先を急いだ。
 もう気分はすっかり過保護な保護者となっている事に、本人はまだ気づいていなかった。






 アーシャは一人で市場通りをふらふらと歩いていた。
 三人とはぐれてしまったのは困ったが、どうせ昨日もはぐれたのだし、待ち合わせは決めてあるので気にしない事にしてあちこちの店を覗き込んで楽しんでいた。
 元々アーシャは一人でも平気な性質なのだ。
 一日目は余りの人の多さに目が眩んで大した買い物もしなかったが、二日目の今日は多少は慣れて市場の様子をじっくりと見る余裕も出来た。

 一見雑多に見える市場の連なりだがそれなりに法則があるらしい事にアーシャもまた気がついている。
 食材を売る地区や服や布のような服飾品の地区、生活雑貨を売る地区、宝飾品などの高級なものを数点を厳重なケースに入れて店頭に出して商談は奥でなどと言うような高級商品の地区。今道の両脇に目に付く品々を数えても、武器や防具、魔具に本と、大まかな種類だけでも随分と多種多様だ。
 店舗持ちの店の出す立派な露店もあれば、その間を縫うように場所を借りているだけの小さなテントもある。

 アーシャはそんな小さなテントの一つを覗き、魔法で凍らせた果物に蜂蜜をかけた氷菓子を一つ買った。
 カリ、と齧ると程よく溶けた状態の果物の酸味と蜂蜜の甘さがぴったりでとても美味しい。
 氷菓子を齧りながらアーシャは魔具やその材料を売っている一角を目指して歩いていた。

 アーシャの目当ては主に本と魔具の材料だ。基材になる石板や木の板、魔法で石を溶かし込んだ高価なインクや耐魔法加工のしてある布地、ガラス加工の材料や、石を研磨する為の良い研磨剤も探したい。

 そんな事を考えながら歩いていたアーシャの目に完成品の魔具を置いた露店が映る。
 置いてある売り物はどれも大したものではなく、せいぜいが面白発明品といった品々だ。
 アーシャは並べてある品々とその隣に書かれている用途を眺めて笑みを浮かべた。
 一定以上の温度には耐熱効果があるので決して焦げ付かない鍋、乾きの魔法がかかっていて水が残らないので錆びにくい包丁、洗濯物と水を入れると水流が起きてぐるぐると回る桶、床を拭いたあと水に入れるとぶるぶると揺れて自分で汚れを落とすモップ。

 アーシャはこういう他愛もない、日常生活を便利にする目的で作られたような魔具が結構好きだった。
 魔法と魔具の平和的利用、と言う命題を掲げてこうしたものを研究しているチームが学園にもある。
 アーシャはそれらを面白く眺めながら今作ってみたい魔具をイメージして、欲しい材料を指折り数える。

「夏期休暇の課題、鍋にしようかな、やっぱり」
 野菜などの材料をそのまま放り込むだけで一定の大きさに切れ、規定の時間勝手に煮てくれる鍋などはどうだろう。
 野菜を入れた後水を入れて適当に煮た所で調味料を入れればもう野菜スープが食べられる。小さめの角切りに切れるように調整すれば煮る時間も余り長くなくて済む。

「切る行程は風の刃みたいなのが鍋の縁から出るのがいいかな? 皮は……まぁいいよね、それも栄養で。でも手やお玉が切れたりしたら困るからそこはどうしようかなぁ」
 ディーンが聞いたらまた懇々とニ時間は説教してくれそうな事をぶつぶつと呟きながらアーシャはしばしその露店の前に佇んでいた。

「ディーンには内緒にしなきゃ……」
「何が内緒なんだ?」
 アーシャは後ろから聞こえた声にピタリと動きを止めた。
 が、そのまま振り向かずにタッと走り出す。
「何故逃げる」
「ひゃっ」
 だがその逃走は悲しいかな人ごみと腕の長さの差にあっさりと阻まれ三歩で終わってしまった。
 マントの襟首をつかまれて猫のようにぶらん、とぶら下げられてしまえばいくら手足をばたつかせても前には進めない。
「せっかく迷子を見つけたんだから逃げるな」
「……はーい」
 アーシャは暴れるのを諦めてだらんと手足を下ろした。

「で、何が内緒なんだ?」
「べ、別に……何でもないよ」
 ディーンはちらりとアーシャが先ほどまでぼんやりと見つめていた露店に目をやった。
 そこに並ぶ品物と、脇に書いてあるその使用用途をざっと眺めるとまだ捕まえたままのアーシャに目を落とす。
「……アルシェレイア」
「な、何?」
「あそこの店でもし料理道具を買ったら三時間ほど特別講義を設けよう」
 予想より時間が長い事に驚くべきか、核心を外れた事に喜ぶべきか分からず複雑な顔をしながらアーシャはぶるぶると首を振った。
 よし、とアーシャに頷き返すとディーンはその襟から手を離して、今度は腕を取った。

「行きたい所があるなら付き合おう」
 アーシャはその手がうっすらと湿っている事に気がついた。彼の額にもうっすらと汗が浮かび、どうやら随分急いでここまで来たらしい。
 ちらりと見上げた顔はいつもと同じく無表情で、強い日差しが彫りの深い顔に影を落として実に不機嫌そうにも見える。
「ありがと……じゃあ、えと、あっち」
 アーシャが指差した方に彼は歩き出した。
 上手に人の流れに乗り、アーシャが離れないよう歩みを調節してくれるのでとても歩きやすかった。
 彼は優しいのか厳しいのか、そのバランスが良くわからない。
 背中しか見えない後姿を見ながらアーシャはくすりと笑った。


 やがて二人は一軒の店の前で足を止めた。
 アーシャが立ち止まり、くい、とディーンを引っ張ったので彼も止まったのだ。
 バルド工房、と書かれた看板の下がったその店は老舗だと見て取れるなかなかに立派な佇まいだった。
 大市に合わせて店への入り口の通路だけ少し開けてその脇にはテントと露台が設置してある。
 露店に並んでいるのは女性の好みそうなアクセサリーの形をした様々な護符の類だった。
 通路から開きっぱなしの店の入り口を覗くと、そちらにはもっと大きな道具の類が所狭しと並んでいるのが見える。
 どうやらこの工房は魔技師の工房らしい。
 アーシャは露店に並ぶ護符を一つ手にとって眺めた。
 四角いペンダントの形の護符は中心に青い石が嵌り、その周りに水の神の加護と幸運を願う意味の古代文字が彫り込まれている。
 素材は銀で石も高いものではないが緻密な細工は美しく、簡単ではあるが防御の魔法がかかったそれなりに力のあるものだった。
 値札からすればなかなかのお買い得だ。

 女性に受けそうなデザインの手頃な値段の物を中心に目立つ所に並べてある為、店頭はかなり賑わっていた。
 商売上手な事に感心しながらアーシャはそのペンダントを元の場所に戻した。
 こういった護符の類ならアーシャは自分で作れるから特に困ってはいない。
 それよりも老舗らしい工房の技術が見てみたかったので奥の店の方が気になった。

「ここに入るのか?」
「うん、見たい」
 アーシャは人で賑わっている露店の脇をすり抜けて店の入り口へと向かった。
 露店で接客をしていた女性二人に目を向けると、二人は会釈と共にどうぞ、と奥を示した。
 店の中に入ると明るい場所から急に移動したので目の前が一瞬暗くなる。
 目が慣れるまで二人はしばらく店の入り口で立ち止まった。

「いらっしゃい!」
 店の奥から愛想の良い声が聞こえ、店員が出てくる。
 目が慣れてきたアーシャはぺこりと軽く頭を下げると店の中へと進み、近くの棚へと歩み寄った。
 店の中は様々な魔具の類が所狭しと置かれ、壁に掛けられている。
 アーシャはその一つ一つをじっくりと見て歩く。
「……あれ? あんた」
 不意に店員がアーシャに声を掛けた。
 品物を見ていたアーシャが顔を上げると、彼女をぽかんと見つめている店員と目が合う。店員はアーシャより少し年上の少年だった。

「あ、やっぱり! アーシリア・グラウルじゃん!」
「……?」
「知り合いか?」
 アーシャは首を傾げて相手の顔をまじまじと見た。
 栗色の髪に水色の瞳、頬にそばかすが散った愛嬌のある顔立ちの少年だった。
 だがいくら見ても心当たりを見出せない。
「……知らない」
「知らない!? ライラスだよ、ライラス・バルド! あんたのクラスメイト!」
 クラスメイト、と言う言葉にアーシャはああ、と大きく頷き明るく告げた。
「じゃあやっぱりわかんないや。クラスメイト憶えてないもん」
「そりゃないだろ!? 俺らもう同じクラスになって三年目だってのに、ほんとに!?」
「……流石にそれはどうかと思うが」

 魔技科を一年から選ぶ人間ははっきり言って少ない。
 二年三年と学年が上がるに連れて魔法科からの転入者が増えるのが毎年のことで、そうなるとどうしても授業の進みにある程度の差が出てしまう。
 だから一年から魔技科を選んでいる人間はずっと魔技科Aクラスと決められていて、転入者は魔技科Bクラス以降に自動的に入る。よほど授業についていけないとか、優秀だと言う場合を除いて基本的にクラス替えはない。
 三年近くも同じクラスなら流石に全員の名前と顔くらいは覚えているのが普通だろう。

「私、人の顔と名前覚えるの苦手なんだもん。最低でも五回くらい話さないと見分けつかないし……多分人の顔、両手と両足の指で足りるくらいしか憶えてないよ」
 なんと言っても一度見たら忘れられない、あの印象深いコーネリアさえもアーシャに名前を覚えてもらえなかったくらいだ。
 カウンターに深く突っ伏した、愛嬌はあるが平凡な顔立ちの少年は話した回数が少なければ確実に覚えてもらえていないだろう。
 ディーンは胸の内で密かに同情を寄せた。
←戻  novel  次→