15.手紙の主
 秋は早足で学園の周りに訪れつつあった。
 そんな秋の色の学園では、十月に入ってから魔法学部魔技科の生徒達は何となく落ち着かない毎日を過ごしていた。
 廊下を歩いていて他の科の生徒とすれ違ったりすると何となく馬鹿にしたような目で見られる事があるのだ。
 別の学部から見ると全員同じように見える魔法学部の生徒達も、同じ学部内から見ると持っている道具などで何となくどこの科か区別がつく。
 魔技科を積極的に馬鹿にしているのはもちろん魔法科の生徒達だが、ここ最近は特にその風潮が強くなった気がして誰もが居心地の悪い気分を味わっていた。
ただ一人、その原因であると思われる少女を除いて。




「あれ?」
 放課後の教室で、アーシャは小さな声を上げて机の中を覗き込んだ。机の中に入れておいたバッグを取ろうと引っ張ったら、何かが床にぱさりと落ちたのだ。
 バッグを取り出して床に落ちた物を拾ってみると、それは封筒だった。よく見れば他にも白や薄いピンクといった可愛らしい封筒が数通、机の中に入れてあった。

「手紙?」
表も裏も確かめたが、どれ一つとして宛名も差出人も書いていない。そんな封筒が机の中になんと六通も入っていた。
アーシャは封を開けようかどうしようかと考えながら見つめ、微かに漏れる魔法の気配に気がついた。

「んー……」
 一度目を瞑り、それからまた開くとアーシャの視界が一変する。良く見えるようになった目を封筒に向けると、手の中の六通のうち、三通に魔法が掛かっているのが見て取れた。
 中の便箋に魔法陣が描かれているらしく、良くは見えないが開けると何か発動そうな予感がしたのでそっと脇に避ける。
 残りの三通は危険が無さそうなことを確かめてから、そっと一つの封筒をあけて中身を取り出した。

「……何だろこれ」
 開いた便箋にはびっしりと文字が書き連ねられていた。読むのが実に難しい、目がちかちかするような細かく丸い可愛らしい文字がぎゅっと詰まって並んでいる。
 だが内容は、その可愛い文字に似つかわしくない罵詈雑言や悪口の類であるようだった。だった、というのは目が滑るのでまともに読めないのだ。
 大した内容は無さそうだったし、手紙からは悪意がにじみ出ているような気がしたのでアーシャはそれをそっと封筒にしまった。
 もう一通開けてみると、こちらも似たような内容だった。ただ先ほどの物よりは少しだけ字が読みやすい。
 ざっと斜め読みすると、アーシャがシャル達と組んでいるのが気に食わない、身の程を知れ、早く班を抜けろ、といった事が書いてあるようだった。

「ふぅん」
 アーシャは面白そうに呟くとそれを避け、最後の一通を手に取った。
 最後の手紙は実に簡潔に用件だけが書かれていた。

『魔法競技会で私と勝負なさい! 私が勝ったらあの班を抜け、以後一切彼らに近づかないと約束しなさい!』
 以下、貴女はあの三人とは不釣合いなのです、怖気づいて逃げ出さずちゃんと競技会にエントリーするように、などと書いてある。
 署名はコーネリアとなっていた。

「コーネリア、コーネリア……ああ」
 どうやらコーネリアはようやくアーシャに何となく存在を憶えてもらえたらしい。
 アーシャは手紙をひらひらと揺らすと、これはどういうことかと考えた。
 こんな手紙を彼女から貰う理由が良くわからない。

「本人に聞くのが早いかな……」
 もう放課後だし、今ならまだ学園内にいる生徒は多い。急げば彼女を捕まえられるだろう。
 だがアーシャは彼女がどこのクラスなのか知らなかった。魔法科らしいということはシャルから聞いて知っていたが、魔法科はクラスが結構多い。
 アーシャはコーネリアからの手紙を畳んでポケットに入れ、その他の手紙を集めて入り口の脇にあったゴミ箱に放り込んだ。
 魔法学部のゴミ箱は多少危険な物を入れても大丈夫な仕様になっているので安心だ。
 それからコーネリアの手紙が入っていた封筒を手に取った。中に便箋は戻していないので空のままのそれをアーシャはビリビリと手で千切り始めた。
 なるべく小さくなるように何度も何度も千切る。
 やがて小さな紙吹雪が手の平に一掴み出来上がった。
 紙吹雪を手に握ったまま、アーシャは廊下へ出て窓を開けた。ひゅぅ、と気持ちのよい風が頬を撫でる。アーシャはその風に向かって頼んだ。

「これを送り主のところへ運んで」

 千切った紙を乗せた手を開くと、風の精霊達がそこに集まる。
 手の平に乗せた紙吹雪は瞬く間に風にさらわれ、ひらひらと飛んでいく。
 その場でくるりと一回渦を巻いた風は、紙吹雪を乗せたまま廊下を吹き抜けて行く。
 アーシャはそれの後を追って歩き出した。
 歩いていると置いていかれそうになるので、少し小走りで紙吹雪の後を追う。
 魔法科のある階に来たアーシャはそのままそこに行こうと足を速めた。だがアーシャの目の前を行く精霊達は角を曲がらず、そのまま上の階に向かって更に進んでいく。

「あれ?」
 アーシャは慌てて階段を登ってその後を追った。
 魔法科は東棟の最上階にある。この上には教室はないはずなのだ。
 訝しく思いながらも精霊を信じるアーシャは彼らの後に付いて行った。

「じゃあ、また後でね」
「ああ」
 そんな声が聞こえ、顔を上げると少年が一人降りてくるのとすれ違った。
 もちろん知らない顔だったが、どうやら魔法科らしい。アーシャが道を譲ると少年は礼も言わず、さも当然のような顔をして階段を下りていった。

「きゃっ、何これ」
 それをしばらく見送っていたが、不意に小さな声がしてアーシャは視線を階段の上へと戻した。
 屋根裏の倉庫へと続く階段の突き当たりにいたのは、コーネリアではなく、褐色の髪の知らない女生徒だった。

「やだもう!」
 彼女は自分に纏わりつく紙吹雪を追い散らそうと懸命に手を振って身を捩っている。
 アーシャは風達にもういい、と胸の中で声をかけた。
 途端に紙吹雪は力を失い、ちらちらと女生徒の足元に降り積もる。

「なんなの、もう! ……あら?」
「……こんにちは」
 女生徒は階段の下の踊り場にいたアーシャに気付き目を見開いた。

「……こんにちは。何か御用かしら?」
「んー……、あなたに会うつもりじゃなかったんだけど、まぁいいや。手紙、くれたでしょ」
「何のことかしら? わからないわ」
 女生徒は首を傾げて肩をすくめた。
 だがアーシャは首を横に振り、彼女の足元を指差した。

「その紙吹雪、私が送ったの。手紙の差出人のところに精霊に連れてってもらおうと思って」
 途端、彼女はハッとした顔をした。そして自分がうっかり反応してしまった事に一瞬眉を顰めたが、すぐに気を取り直して笑顔を浮かべた。

「そう、精霊魔法が使えるって言うのは本当だったのね。そうね……確かにその手紙は私が出したのよ」
「何で?」
「コーネリアが貴女と勝負したがっていたから、実現させてあげようと思って。私達友達なの。受けてあげてくれないかしら?」
「断ろうと思ってきた。勝負する理由がないから」
「あら、勝負する理由は書いてなかったかしら? 班を抜けるかどうかを賭けて、って」
 そう言って彼女はにっこりと笑った。アーシャはその笑顔が気持ち悪い、と感じた。口だけが笑っていて、目がちっとも笑っていない。そのせいか何だか顔が歪んでいるように見える。

「そんなのは理由にならない。その賭けを受ける利益は私にはないし、私が抜けてもあの人はシャルと仲が悪いからきっと班に入らない」
 アーシャがそういうと彼女は面白く無さそうにフン、と鼻を鳴らした。
「あら、利益ならあるわよ。貴女がいなくなれば貴女の仲間達は足手まといが居なくなって身軽になるもの。そうなれば貴女だってうれしいんじゃなくて?」
「足手まとい?」
 彼女の言った言葉の意味が判らず、アーシャは首を傾げた。
 それをどう受け取ったのか、彼女は頷いて可哀想なものを見るような目をアーシャに向けた。

「そうよ。貴女何も知らないんでしょう? 魔法科では噂になってるのよ。
 貴女が足手まといだったから彼らは実習ですっごく苦労したって。でも貴女が可哀想だから班のメンバーから外したい事を言えないでいるって」
「……」
「仲間達に悪いと思わない? 彼らが言い辛いなら自分から離れてあげるのがいいんじゃなくて?
 だからコーネリアは貴女に口実を上げようと思ったのよ、きっと」

 アーシャは彼女が切なそうな演技をしながら語る言葉を聞きながら、面白いなぁ、と思っていた。
 本当のところ、アーシャ達が具体的にどんな旅程で、どんな事を行いながら森の中で過ごしたのかは他の生徒達には一切公開されていない。
 公開されない理由は単純で、これからもそこに挑む生徒達がいるからだ。
 行く場所の情報が予め行き渡ってしまうと課題にならないから、ほとんどの実習の情報はクリアした生徒達も失敗した生徒達も他者に語らないよう求められる。
 それでもやはり多少は生徒同士で漏れるものなのだが、アーシャ達の場合は色々隠しておきたい事があったので、仲間達はそれらを誰かに軽々しく語ったりしていないと言える自信があった。
 それなのにこうして根拠のない噂が出てくるというのだから、生徒達の好奇心と言うのは本当に面白い。

(でもちょっと気持ち悪いな)

 アーシャは目の前で語る女生徒を見ながら、人が集団になると起こる弊害についてしばし考えを巡らせた。

「……だから、って聞いてるの!?」
 バン、と音がしてアーシャは意識を目の前に戻した。
 女生徒が壁を叩いたのだ。彼女は苛立った顔でアーシャをきつく睨みつけていた。

「聞いてなかった。えーと、つまり何?」
「なっ……だから! 魔技科の癖に野外実習に参加するなんて場違いだって言ってるの! 彼らの班から抜けなさいよ!」
 目の前の少女が全く動じていない事に苛立った彼女は、先ほどまでのしとやかさを捨て怒鳴りつけた。

「やだ」
「っ!」
 アーシャの簡潔すぎる返答に彼女は息を呑んだ。大人しそうな少女だから少し言い聞かせればすぐに諦めるだろうと思っていたのだ。

「名前も知らない人にそんな事言われる筋合いはない。それに、私の仲間達は私が要らないならきっとそう言う」
 自分を連れて行けない場所があるならば、彼らは必ずそう言うとアーシャは思っている。
 それは彼らの足手まといだからという事ではなくて、連れて行くことが少女の為にならないから、とそういう風に考える人達だと知っている。
 それに今のところ足手まといになっているつもりもないのでそんな心配は不要だ。もしこの先一緒に行けない可能性があるのであれば、アーシャはちゃんと努力するつもりでいた。
 彼らと一緒にいたいから。
 アーシャがそう思っていると目の前の女生徒は信じられない、と言うように目を見開き、次いで顔を赤らめた。どうやら彼女は怒っているらしかった。

「カトゥラよ! カトゥラ・マグルール! 貴女私を知らないの?」
「知らない」
 どうせ忘れるだろう、と思いながらアーシャは頷いた。

「っもう! 何なの……これじゃ……」
 カトゥラは苛々と足を踏み鳴らしながらぶつぶつと呟いた。どうやら計算が狂った事が苛立たしいらしく、艶やかな髪の一房に指を伸ばしくるくると捻っていく。
 このカトゥラという女生徒が結局何がしたいのかアーシャには今ひとつ分からなかった。
 言いたい事は言ったし、そろそろ立ち去ろうかとアーシャが考えていると、カトゥラは不意に気を取り直したように彼女の方を見た。
 そしてにっこりと笑う。

「貴女最近、なんだか運が悪かったりしない?」
「……運?」
「そう、身の回りでちょっとした残念な出来事が続いてたリとか……」
 アーシャは軽く目を見開いた。彼女の言いたい事が分かったのだ。
 その様子を見てカトゥラは悲しそうな顔を見せた。

「あら、勘違いしないでね。私じゃないわよ? けれど、悲しいかな世の中には噂に踊らされる人が沢山いるから仕方ないわ」
「……噂に?」
「そう、魔法科と魔技科は仲が良くないから。魔技科の貴女が魔法科のシャルフィーナと仲良くすることを面白く思わない人は、どちらの科にもきっと沢山いると思うのよ?」
 アーシャは彼女が言った事を良く考えてみた。
 だが、別にそれによって何か害が発生するとも思えない。
 今までにあった小さな不運と呼べるような出来事も、結局は少女に何もダメージを与える事は出来ないでいる。
 シャルにしたって、彼女に何かを仕掛けて勝てる人間がいるとは思えない。だからそれを素直に告げた。

「別に私は嫌な思いしたりしないし、シャルだって負けないと思うよ」
「そうねぇ、シャルフィーナは強いものね。でも他の人はどうかしら? 貴女のクラスメイト達とか、ね」
「クラスメイト?」
 そういえばそんなのも居たか、とアーシャは薄く笑った。
 それこそアーシャにとってはどうでも良い存在に他ならない。少女は肩をすくめると踵を返した。

「何だか良くわかんないけど、そんなのが私に対する効果になると思うなら勘違いだよ」
「え?」
「だからとりあえず競技会に出る気はないから。何がしたいのか知らないけど、班に入りたいなら直接シャル達に言った方が良いと思うよ」
「……!」
 頬を赤らめて黙ったカトゥラの方を見もせずにアーシャは歩き出した。つまらない事で時間をとってしまった、と少し後悔する。
 何がしたいのか分からない変な人だったな、と思ったがもう考えない事にして少女は足を速めた。
 



 階段を下りていく足音を聞きながらカトゥラは苛々と髪をかき上げた。

「これだから子供は……全く、嫌になっちゃう」
 自分が表に出る気はなかったのに予想外に見つかった挙句、どんな話も功を奏さなかった。

「魔技師なんて、弱くて役立たずの癖に……生意気だわ」
 少女が抜けた後に自分が入れるとはカトゥラはもちろん思っていない。
 ただ単にとても気に食わないだけだ。
 魔技科の生徒が自分の気に入っている人間の傍にいることが。
 おまけにあの少女は精霊魔法が使える加護持ちだという。それなのに魔技科を選んでいる事も輪をかけて気に食わなかった。

「……面白くないわ」
 カトゥラは軽く唇を噛締めたが、すぐに気を取り直して前を向いた。
 自分が蒔いた種はまだそこかしこに残っている。失望するには早いだろう。
 とりあえず今はこの憂さを晴らす方法でも見つけよう。余裕がなければ考えも上手く回らない。
 そう胸の内で結論付け一つ頷くと、カトゥラは頭の中で呼び出せばすぐに出てくる男達のリストから適当な人間を探した。
 金のあるのにしよう。何か美味しい物を食べれば少しは気も晴れるだろう。ついでに買い物をしても良い。
 気晴らしになる事を考えながらカトゥラは人の少なくなってきた校舎を優雅に歩く。
 けれど、その眉間についた細い皺はいつまでたっても消えることがなかった。
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