13.性質の悪い噂

 放課後でも武術学部は騒がしい。
 この学部は必然的に体力を持て余しているような生徒が集まる傾向があるので雰囲気自体がいつも賑やかだ。

 他の学部同様に、武術学部の校舎にも放課後も生徒に解放されている教室や鍛錬の為の場所が沢山ある。
 人気なのはトレーニング器具などが置いてある部屋で、この時期は夏期休暇にのんびりと過ごして鍛錬不足になった生徒達が多く利用している。
 その反面何も器具のない広間だけの鍛錬場などは人気がなく、人の姿もまばらだった。

 そんな場所の一つ、第三鍛錬場の中心でジェイとディーンは静かに向かい合っていた。
 辺りには他に人影はない。人の来ない場所を選んで来たのだから当然だ。

 対峙してからどのくらいたったのか、じっと睨み合っていた二人だが、先に動いたのはジェイの方だった。
 いつまでも動かないお互いに焦れたのか、ジェイは深呼吸を一つすると地面を蹴った。
 ディーンの懐を目指して距離を急速に詰める。その速度は身軽なジェイらしい、流石と言うべき速さだ。
 ジェイが間合いに入るぎりぎりのところで不意にディーンが動いた。

 ヒュ、と風を切る音が室内に響く。
 懐に入らせないために斜めに大きく振り下ろされたディーンの剣は空を切った。しかしすぐに跳ね上がって戻ってくる。
 足裏で強く地面を擦って急停止することで初撃を避け、またすぐに足を踏み出しかけていたジェイは慌ててもう一度足を引いてそれをやり過ごした。
 だがその首元に鋭い突きが繰り出される。
 体を軽く沈め、横に振って避けたが髪の毛を一筋掠め取られた。

 更に間髪入れずに繰り出されてくる素早い突きを、体を左右に振ってギリギリで避ける。
 ディーンの突きは鋭い上に隙が小さく、身の軽いジェイでも避けるのが精一杯だ。避けた剣がその度に髪の毛を一瞬掠める。
 ジェイはそれに構わず左の腕に力を込めて機を伺った。
 十分に力がこもったと感じた時、再び向かってきた突きを右に避け、その剣の腹に向かって左の籠手を当てた。
 キン、と固い音が響きディーンの剣は大きく弾かれる。

 以前のジェイにはその剣は少々重く、あまり強く弾く事ができなかった。だが今の彼の腕力ならかなりの強さで弾く事ができる。
 左手に意識して力を振り分けるのもかなり上手くなっていた。ただし強く弾きすぎて剣を駄目にしたことも何度もあるので手合わせの時の加減はいつも難しかった。

 剣を強く弾かれたディーンの体は一瞬バランスを崩して大きく開いた。
 ジェイはその機を逃さず懐に一足で飛び込んだ。
 だがディーンは素早く半身を捻り、その腹を狙った右の一撃をわずかに掠らせただけでかわした。
 同時に懐に入り込んでいたジェイの背中に剣の柄が振り下ろされる。
 だがそれこそジェイが待っていた本当の機会だった。
 素早く体を捻ったジェイはさっとその手を伸ばし、振り下ろされたディーンの腕に一瞬左手で触れた。
 それはあくまで触れただけだった。しかしそのタイミングを狙ってジェイは叫んだ。

「いち!」
「――ッ!?」

 ジェイに触られたところから、バチン、と何かを叩いたような音と共に激しい痛みと衝撃がディーンの腕を駆け抜けた。
 剣を握る手から力が抜け、カラン、と音を立てて剣が落ちる。
 ピタリ、とジェイの拳がディーンの顔の傍に当てられ、その立ち合いの終わりを告げた。

「……」
 一瞬の沈黙の後、ディーンは両手を軽く挙げて降参の意を示した。
「やった! 俺の勝ち!」
 ガッツポーズをして喜ぶジェイに苦笑しながらディーンは右腕を擦った。最後のジェイの攻撃のおかげで右腕はビリビリとした痺れを訴えている。
 ディーンは痺れた腕でゆっくりと鍛錬用の剣を拾うと鞘に納め、ジェイを振り返った。
「まぁ……いつの間にか精霊を呼んでいたのは予想外だった。負けを認めよう。……だが」
 ディーンは急に眉間に皺を寄せてジェイに詰め寄った。

「なんだあの言葉は!」
「え、や、あれはー……呪文?」
「あんな呪文があってたまるか!」
 ディーンは彼にしては大変珍しく声を荒げた。彼がジェイの電撃を防ぐ間もなく受けてしまったのはあれが呪文だとはまさか思わなかったからだ。
 ディーン自身も闇の精霊を呼んであったから、もしジェイが精霊の力を使う気配を見せたなら相殺することは可能だったかもしれない。だが彼が叫んだ短い言葉は絶対に呪文とはいえない言葉だった。

「あれのどこが呪文だ! アルシェレイアから何を教わったんだお前は!?」
「えー、いや、その……俺でも使える簡単呪文、アーシャが考案してくれたっつーか?」
ディーンは頭を抱えて唸った。あれが呪文として成立するなら精霊魔法を研究する魔道士達は即刻それをやめて自棄酒でも飲みに行くに違いない。

「や、あんな、アーシャが教えてくれたんだよ。精霊と仲良くなったら必要以上に難しい言葉は使わなくてもいいって」
「……それで?」
「んーと、だから、俺みたいなタイプは言葉や道具に頼れば頼るほど上手く行かないから、感覚で行けって」

 実に的確なアドバイスにディーンは深い深いため息を吐いた。
 だがやはりあの呪文はひどい。いや、ディーンの心情的にはあれを呪文とは到底呼びたくない。

「だが幾らなんでもあれはないだろう。必要な事を何も言っていない」
「うん、俺もそう思ったんだけどアーシャが言うには、現代語による呪文や言葉ってのは要するに自分の意識を……なんだっけ、喚起? させる為の言葉だから、その言葉自体が精霊に働きかける力は意外に弱いんだって言うんだ。
 精霊はむしろ、言葉によって湧いた本人のイメージを読み取るんだって。
 だから精霊魔法を使い慣れた人が、簡単な魔法なら思考だけで使えるのはそのせいなんだってさ」
「……なるほど、それで?」
「だから、俺みたいなのはごく簡単な言葉とイメージを結びつけて頭と体に刷り込んで、条件反射で使えるようになるまで練習するのが良いって。
 例えば雷を使うならそれを大体の威力で五段階くらいに分けて番号振って、その番号と威力のイメージを体で覚えろって」
 ジェイが語ったその型破りな方法にディーンは呆れ、思わず遠い目をして天を仰いだ。

「……要するに、犬に伏せを教えるようなものか」
「もうちょっとマシな例えはないのかよ!」
 自分でもちょっとそう思っていたジェイはちょっぴり涙目で訴えたが、その意見はあっさりとディーンに黙殺された。

「つまり《一》と言う事でそこに結び付けられたイメージが勝手に湧く程訓練をしたのか?」
「したした。もうそればっかり。一は触れた所がしばらくの間痺れるくらいの威力の雷なんだけど、アーシャにまず見本を見せてもらって、自分でも食らってみて、それで後はひたすら反復練習。アーシャは難しい事は言わないけど結構厳しいんだよな」
 それは何とも体育会系らしい訓練だ。確かにジェイに合っている訓練方法と言えそうだった。

「休暇中に姿が見えない時はそんな事をしていたのか」
「そう。まずそういう簡単なのを憶えてから段階を上げていくのが良いんだってさ」
 だが当然光の精霊魔法にも様々な用途がある。あまり多くは憶えないとしてもそれでもその方法では限界があるはずだ。 ディーンはそう考え、それをジェイに聞いた。

「あ、うん、アーシャもそう言ってた。
 だから、イメージするのが難しい魔法については、古代語を使うと良いってよ。
 一方的でいいからやって欲しい内容を細かく詳しく話しかけるようにして使うと、精霊がその言葉を聞いてやってくれるんだってさ。
 古代語なら精霊に伝わりやすいから。
 発動に時間かかるけど色々できるから、そういうのはそのうちカンペ作ってくれるって言ってた」
「カンペ……」
 どこまでも精霊魔法学者達を泣かせる行為だ。
 ディーンはなんだかひどい頭痛がするような気がした。

「ディーンも教えてもらったらどうだ? 面白いぜ」
「……考えておこう」
 恐らくそれはとても有意義だろうが、その代わりに自分の中の常識を売り渡すはめになるような気がしてならない。
 堅苦しいのが好きだという自覚があるディーンにとってはかなりの自己変革を求められる事になりそうだ。
 強さを求めるか心の平安を求めるかでディーンがしばし悩んでいると、鍛錬場に立つ二人に声が掛かった。





「お、いたいた。おーい、ジェイ、ディーン」
 ジェイとディーンはその声に鍛錬場の入り口を振り向いた。
 そこには見覚えのある少年が一人、手を振って歩いてくる所だった。

「よお、ルー、どうした?」
 ルーと呼ばれた少年は困ったように笑うとポケットから数通の封筒を出してそれをぴらぴらと振った。

「ほら、お前らに届けもん」
 そう言って差し出されたそれらの封筒はどれも随分と可愛らしい色合いで読まなくてもその中身を想像させる。それを見たディーンとジェイはたちまち渋い顔をした。

「捨ててくれ」
「んなもん持ってくるなよ。俺らが受け取らないって知ってるだろ?」
 ジェイはそう言って手を振って受け取りを拒否を示す。
 だが少年も簡単には引き下がらず、押し付けるように封筒を差し出した。

「いや、頼むから受け取るだけ受け取ってくれよ。俺が恨まれるだろ? な!」
「ルイン、こういった物は受け取らないと何度言ったら分かる」
「ったく、お前お人好しだからな。それともまた女の子紹介してくれるとか言われたか?」
 ジェイは受け取る代わりに手を伸ばしてピン、とルインの額を指で弾いた。

「うぐっ、い、いや、決してそんなことはっ!」
 ルイン・オルワースはディーンと同じ剣術科で彼と交流のある数少ない同級生だが、同時に基礎学部からのジェイの友人でもある。
 成績などはそこそこといった所だが社交性のある明るい性格のため友人知人が多い。
 ただお人好しなのが玉に瑕で、こうやって度々ディーンやジェイ宛ての伝言や手紙を託されてきては二人を悩ませていた。

「なぁ、受け取ってくれるだけでいいからさ!」
「いらん」
「勘弁してくれよ、ルー。下手に受け取ったら後でシャルに嫌味言われ放題だぜ」
 ジェイは昔、こういった物の中身を知らずにうっかり受け取ったら、未熟で弱っちいくせにもう女に余所見をするのかとシャルに鼻で笑われて半月も詰られて散々だった。
 それ以後も度々こういった事に絡んでトラブルに見舞われているので今では一切受け取り拒否を貫いている。

「それは良くわかってるけどさ、でも今回はシャルフィーナだって文句言わないだろ?」
 だがそれを良く知っているはずのルインは珍しく今日は引き下がらなかった。
 いつもなら適当に受け取れ受け取らないと押し問答をした後、義理は果たしたとあっさりと諦めてくれるはずなのだ。

「シャルが文句言わない? そんな訳あるかよ」
「や、だってこういうのはさっさと決めておいた方がいいだろ? 前の時だってギリギリだったじゃねぇか」
 どうも方向のおかしいルインの言い分にジェイとディーンは顔を見合わせた。

「ルイン、一体何の話をしている」
 ディーンの質問にルインはきょとんとした顔をした。
「え? だから、手紙の話だよ。お前らのチームへの参加希望だろ?」
「はぁ!?」
「……それを見せろ」
 ディーンはルインの手から封筒を奪い取ると乱暴に封を開けて便箋を開いた。
 さっと中身に目を走らせた後それをジェイに渡し、他の手紙も開ける。ジェイもディーンも手紙を読むごとに眉間の皺が深くなっていく。全部で五通あったその手紙はどれも同じような内容だった。

「なんだこりゃ。欠員が出たならぜひとも一緒にって、いつどこに欠員が出たんだ!?」
「しかも全員魔法科の人間か」
 困惑する二人にルインは不思議そうに首を傾げた。

「や、だからお前らの班だろ? そりゃあまだ後期の実習の行き先とか決めるのにはちょっと早いけどよ、三人じゃやっぱバランス悪いじゃん。前がギリギリ登録だったなら今度は早く決めた方がいいぜ?」
「……我々の班に欠員が出たと?」
「どっから聞いたんだよ、それ」
 二人に言われてルインはさらに不思議そうな顔をした。

「違うのか? 俺はそう聞いたんだけど……お前らの班、後期はあのちっこい女の子が抜けるから空きが出るって噂になってたぜ?」
「何ぃ!?」
「一体どこからの噂だ?」
「さぁ……俺も人伝に聞いただけだからなぁ。多分魔法学部からじゃねぇの? あの子魔技科なんだろ?」
「……ルイン、お前が聞いた噂を正確に聞かせろ」
 二人に口々に追及されてルインは驚いた様子を見せたが、ディーンがきつく睨むと慌てて記憶を辿って話し出した。

「だから、えーと、お前らの前期実習は大成功だったけど、やっぱり人数合わせで入れた魔技科の女の子は足手まといで大変だったらしいって。
 んで、だから次はその子が抜けるから班に新しい奴入れる予定で、お前らもそろそろ新メンバー探し始めるんじゃないかって話だったぜ、確か」
 だからそれ、と彼はジェイ達が手に持ったままの封筒を指差した。
「俺だってそれがラブレターとかだったらなるべく受け取らないようにしてるけどよ、班のメンバー探すのって付き合いがないと結構大変だろ? だからちょっとは役に立つかと思ってさ」
 どうやらルインは本当に好意で橋渡しをしたつもりだったらしい。それは理解したが気になるのはその噂の方だ。

「生憎だが私達は班のメンバーを変えるつもりはない。彼女は足手まといではないからな」
「そそ、助けられたのは俺達の方なんだぜ。なのに一体どっからそんな噂が出たんだか……」
 二人の言葉にルインはどうやら噂が嘘だった事を理解したらしく、申し訳なさそうな顔をした。
「そっか、じゃあ悪かったなぁ。
 うーん、噂の出所は俺もわかんないけど……お前らさ、他の班の事情とかあんま知らないだろ? 前期の野外実習の他の班の成功率ってどんくらいだか知ってるか?」
「知らねぇ」
「……確か、完遂は四割くらいだと聞いた気がする」
「そ、完璧にクリアした奴らってそんくらいの割合しかいないらしいんだよ。まぁ、普通はそうなんだってさ。教授は例年通りだって言ってた」
「へぇ、意外に少ないんだな」
「うん、だって上級になって、初めての野外実習だろ? 自分の実力も行き先の難易度とかも良く判んなかったりするから、準備不足とかペース配分間違えたとか、そもそも無理めだったとかで完全にクリアできるって方が少ないんだってさ。ちなみに俺はギリギリクリアだったけど結構やばかったもんな」
 確かに実習に出かけてみると自分達の予想よりも遥かに大変だと思ったことは多かった。
 自分達の甘さや弱さも良くわかり、己を過信していた事を二人も実感している。
 恐らくは誰でも最初はそんなものなのだろうと二人にも良く理解できた。

「んで、前期に上手く行かなかったら当然次こそはって思うだろ? 一緒に行動すると気の合わない奴とかも良くわかるしさ。だから後期は前期と違うメンバーっていう事がすげぇ多いんだよ」
「……じゃあこれもそれが原因ってわけか?」
 ジェイがうっとおしそうに封筒を振ると、ルインも頷いた。
「多分な。誰だって次は成功したいって思ってるとこに、前期にあの風の森でS評価取った班がありゃ注目するだろ?
 割り込みたいって思う奴、いっぱいいるんじゃねぇの?」
「……迷惑な話だ」
 それで勝手にメンバーを変える事を決定されては堪らない。
 しかも外れる人間まで決定しているような噂はどうにも性質が悪いとしか言いようがなかった。

「魔技科の子が抜けるって噂は、多分一番弱そうに見えるからじゃねぇのかな。魔法科の連中、プライド高いしな」
「確かになぁ……」
 二人が苦い顔で頷いたのを見て、ルインは彼らに手を差し出した。
「それ寄こせよ。俺が断っておいてやるよ。噂は嘘だったって言ってさ」
「お、サンキュー。助かる」
「頼む」
 いいって、と言いながら手紙を受け取ると、ルインは踵を返した。
 しかし不意に何か思い出したように足を止めてもう一度振り返る。

「あのさ、もしかしたらだけど……その魔技科の子、気をつけてやった方がいいかもしんないぜ? お前らの班抜けろとかって脅されるとかあるかも」
「脅す!?」
「在り得るな……分かった、気をつける」
「おう、んじゃな」
 ルインは二人に手を振ると鍛錬場を出て行った。
 後に残された二人はその後姿を見送り、それから顔を見合わせた。

「行ってみる?」
「ああ」
 慌しく後片付けをすると二人は鍛錬場を出て歩き出した。
 今すぐどうと言う事はないかもしれないが、何かあってからでは遅いと思うと何となく足が速くなる。
 アーシャは脅しなどは気にしなさそうだが、その分彼女の出方は彼らにも予想がつかなかった。

「噂の出所を突き止めなければな」
「……そういうのは任せる」
少しずつ人もまばらになってきた放課後の校内を少年達は足早に通り過ぎた。
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