一月の森の春
2
「やぁ、エリアーヌ。毎度どうも!」
「こんにちは、ケネット」
 午後になってからエリアーヌの家の前に現れたのは、二台の荷馬車だった。
 一人は卸し業の他に自分でも雑貨屋などを営むケネット。彼は大きな腹を揺すって、商売人らしく愛想良く笑顔を浮かべた。
 もっともその笑顔の半分くらいはもっさりと口の周りを覆った茶色い髭に隠されて良く見えない。
(いつも思うけれど……髭と髪はどうして濃さに関係がないのかしら)
 彼の頭が反射する日差しが目に眩しいと思いながら、エリアーヌは握手を求めるケネットの手を軽く握った。
 ケネットの馬車に目をやると、店の手伝いらしい少年が荷台の覆いを取り外し、品物を確認しているのが目に入る。荷台は穀物の袋や雑多な品で溢れかえっていた。

「先週送った注文書は届いたかしら?」
「おう、ちゃあんと品物は揃えて来たさ! 小麦粉に雑穀、新鮮な夏野菜、生み立ての卵と、日持ちのするクリーム、バター、チーズ。それと塩や砂糖に香辛料、あんたの好きな銘柄のワインと……そうそう、後は骨付き肉だ! 他の細々したものもちゃんとあるぜ!」
「っ!」
 エリアーヌの隣に行儀良く座っていたドニが弾かれたように顔を上げた。
 まさかエリアーヌが前もって肉を注文してくれていたとは思っていなかったのだろう。ドニは千切れんばかりに尻尾を振って、隣に立つ主をキラキラした瞳で見つめた。
「うれしいわ、今日は久しぶりにご馳走ね」
 そんな可愛い使い魔の頭をエリアーヌは手を伸ばして優しく撫で、ケネットに礼を言ってから二台目の馬車に顔を向けた。
 そして他の人間にはわからないぐらい微かに眉をしかめる。
 
 もう一台の荷馬車でやってきた人間は二人。
 一人はトレーズの街で老舗の魔法道具店を営む老魔法使いのオロフだ。
 すっかり銀色になった髪を暖かそうな帽子で覆い、もこもこした外套を着こんだ老人は不自由そうに御者台から足下ろしていた。
 彼の店の者は良くここにくるが、彼が直接ここに買い付けに来るのは珍しい。
 何か若い者に任せられない難しい注文でも入ったのだろうとエリアーヌは予想をつけた。
 だが彼女が眉を顰めたのはそんな心配ではなく、オロフの隣で彼に手を貸している若い男の存在だった。だがオロフは共の男の手を借りて馬車から降りると、彼女の様子には気付かずに礼儀正しく挨拶をした。
「こんにちは、エリアーヌ。今日はわしらを招く気になってくれて良かった。四日前に来た時は道が開かんかったからのう」
「こんにちは、オロフ。ごめんなさいね、その日は森の奥まで行っていたものだから」
「いやいや、あんたはあんたの都合で商売してくれて良いんじゃよ。要するに、今日来た我らは幸運だったと言いたいんじゃ」
 
 十二の森では番人達の許しなくして森に入る事も、森の恵みを得る事も許されてはいない。
 密猟しようとしたところで森で迷うのが普通だし、森でしか手に入らない貴重な品の中には番人以外の手を嫌って、外の者には触れることさえ叶わない物も沢山ある。
 だがそういう物こそ、貴重な薬や魔法の研究の材料として価値が高い。
 だから外の人々は、番人がそれを譲ってくれる事を願い、こうして定期的に森を訪れる。
 番人達も、この国の人間である限り森の恵みを受ける権利が皆にあると認めているので、それに応えて森を開く。
 ただ、客が訪ねたその時に丁度良く道が開くかどうかはちょっとした賭け、と言うわけなのだ。
 だが今日のように番人と約束した商人が来ている場合は、そこに行き会った他の人間も恩恵に与れる。
 エリアーヌは幸運を喜ぶ老人に頷き、顎に手を当てて少し考えた。
 
「さて、貴方が来たと言う事は今日は材料なんかは大分持っていかれそうね?」
「おいおい、約束はこっちが先だろ? ちょっとはこっちにも回してくれよ。あんたの品が入荷するのを待ってる客が大勢いるんだ」
 番人達が提供する品は、不公平がないように買い付けに来た商人同士で交渉して分けるのが慣例だ。
 エリアーヌは慌てた様子のケネットに心得たように頷いた。
「別に心配しなくてもいいわ。このところ大分訪問を断っていたから、色々と商品はたまっているの。それに、どちらかと言えば貴方が欲しいのは完成品の方でしょう? 材料は専門家に譲る方が賢明よ。もし注文を受けた物があるのなら、それは貴方に譲りましょう」
「う……うむ。それなら文句はねぇ。よろしく頼むよ」
 エリアーヌはこうして商人達の相手をするようになってもう十年以上経っている。
 馴染みの商人達がそれぞれ求める品も、季節ごとに喜ばれる品も十分に知っている。
 己の利益を懸命に守ろうとする可愛らしい彼らを宥めるくらい、お腹の空いたドニを宥めるよりも簡単だ。だが、やり方は心得てはいてもそのやりとりが面倒くさくもあるのだが。
 
「さて、ではちょっと待ってね」
「おや、俺には挨拶の時間をくれないのかな、魔女さん」
 踵を返したところを呼び止められ、エリアーヌはぐっと唇を噛締めた。もし口が開いていたら思わずはしたなく舌打ちをしていたかもしれない。
 ギギギ、と音がしそうなほどぎこちなく体を回すと、目の前にはオロフの共の男が面白そうな顔でこちらを見ていた。
 男はエリアーヌよりもたっぷり頭一つ分は背が高い。
 横幅も二倍まではいかないが、鍛えられたしっかりとした体をした偉丈夫だ。腰に下げられた簡素な造りの剣は、よく使い込まれた実用品である事がすぐにわかる。
 顔立ちは多分、街の女の子達に密かに人気が出るくらいには整っているといえるだろう。男らしいがどこか愛嬌を滲ませた笑顔で、短く切った赤毛に不思議な色の青い瞳が良く似合っている。
 だがそれもエリアーヌには、彼女の嫌いな暑苦しい南の色だとしか見えなかった。
 
「……ごきげんよう。お名前はなんだったかしら?」
 地を這うような声音で問われたにもかかわらず、男はぱっと明るい笑顔を見せ、さっと手を伸ばしてエリアーヌが逃げる前にその手を取った。彼はその大きな手で彼女の細い手をしっかりと握り、ぶんぶんと一方的に振り回した。
「ユーグだよ。ユーグ・アルトー! ひどいなぁ、ここに来るのはもう三回目なんだぜ? そろそろ憶えてくれても良くないかい?」
「あら、そうだったかしら? ごめんなさい、あまり興味のないことは憶えない性質だから。それより、手を離してくださるかしら?」
「おっと、これは申し訳ない、 貴女の眩しさについ夢中になっちまった!」
 ピクリ、とエリアーヌの眉間に一瞬皺が寄った。だが男はそれに気付かないまま恭しく彼女の手を開放する。
 エリアーヌは自分の外套で握られた右手を軽く拭うと無言で踵を返した。
 
「皆、そこで待っていて」
 エリアーヌは声に少しばかり不機嫌を滲ませて、そう四人に告げると家の扉の前まで戻り、すぐ近くに見える雪原に手を差し向ける。
「雪よ、おいで」
 白い手が、下から空気をすくうようにスッとひらめく。
 すると、その先の雪原の雪がぼこりと一塊持ち上がった。
 エリアーヌは掬い上げた形の手で、ちょいちょいとその雪の塊を手招きした。雪は導かれるままにふわりと彼女の元まで飛んでくる。
 柔らかな雪は彼女の示した場所にばさばさと降り積もる。
 エリアーヌはさらに雪を呼び、その上にどんどん積み重ねて固くしていった。
 やがて家の脇に出来上がったのは、雪を固めて作ったテーブルくらいの大きさの丈夫な台だった。
 四人のうち三人は見たことがあって慣れているのでそれに特に驚きはしなかった。
 だが、ケネットの連れてきた少年は初めてだったのだろう、面白そうに目を丸くしている。

「こんなものかしら。今売り物を持ってくるから待っていて頂戴。ケネットの持ってきてくれた品は後で見せてもらうわね」
「あ、手伝うよ! エリアーヌ!」
「……そんなに重たい物はないから結構よ、アルトーさん。雪で滑り易いのだから貴方はオロフの傍にいてあげてちょうだい。ああ、でもそうね、そこの初めましての坊や、ちょっと手を貸してくれる?」
「は、はい!」
「おう、しっかり手伝って来い!」
 ケネットは少年の背中を叩いて送り出すと、自分は穀物の袋などを荷台から下ろし始めた。
 ユーグはどうやら振られたらしい事に軽く肩をすくめ、けれど特別落ち込んだ様子もなくオロフと共に自分達の荷馬車に戻った。
 彼らも何か交渉の材料を持ってきたらしく、荷台から箱を出し始める。
 エリアーヌはそれをちらりと見ながら少年を手招いて、家の中に入って行った。
 ドニは残された男達を監視するようにその場にちょんと座り、誰にも聞こえぬように小さくため息を吐いた。
 
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