25:彼の不運

  ディーンは立ち止まって太陽の位置を確認していた。
 方角としてはこのまま行けばテントの辺りにおおよそ出るはずだ。
 だがそのまま進むかどうかを考えていた。テントの辺りには恐らくコーネリアの仲間がいる。
 その連中とこのままぶつかるべきかどうかを考えたのだ。
 しかし川原の方へここから迂回すればかなりのタイムロスになる。
 シャルやジェイがどの辺りにいるのかわからない今あまり時間をかけるのは避けたかった。
(テントの辺りに誰かいたら倒すか)
 それが早い、と決めてジェイはまた走り出した。

 しばらく走り続け、恐らくもうすぐテントが見えるという所まで来た時、ゾクリ、と嫌な感覚が背中を走った。
「!?」
 ディーンは咄嗟に地面に身を投げ出した。
 ヒュッと風を切る音が彼の髪を掠めた。
 身を投げ出したその頭の上でカッと固い音が響く。ディーンはそれを確認する間もなく立ち上がると姿勢を低くしたまま近くにあった木の陰に隠れこんだ。
 音はその後を追うように更に響いた。
 そっと木の陰から覗いて音の正体を確かめた。避けたディーンの後ろにあった木に突き立っていたのは矢だった。
 刺さった位置からいくとディーンの肩辺りを狙った高さだ。
 相手は、と気配を探るとそう遠くない位置に二人ほどの人影が見えた。
「下手くそ、どうすんだよ。あっちに気づかれたぜ」
「仕方ねぇだろ、今のを避ける方がおかしいんだって!」
 ディーンを狙ったのはライの放った矢だった。
 やはり二人は未だ見つからないテントの周辺で仲間が戻ってくるのを待っていたらしい。
 弓ならば何とかなる、と判断してディーンは走り出した。
 森の中ならば木が障害物になってくれる。ディーンは木々の間を縫うように走り、二人との距離を縮めていく。
 カツッ、カカッ、と走るディーンの後を追うように矢が木々に突き立つ音が響いた。
 距離が縮まって避けにくくなってきた矢は剣で叩き落す。
 何本目かの矢を剣で弾こうとした時、ざわ、と嫌な感覚がディーンの背中を通り過ぎた。
「ッ!?」
 咄嗟にばっと地面に伏せる。直後、その頭上を矢と一緒に何かが通り過ぎた。
 ヒュッと鋭く空気を鳴らして通り過ぎた何かは、背後にあった木に強く当たって弾けた。
 ディーンは顔を上げて木を見上げた。
 幹には斜めに真っ直ぐ、まるで斧でも振り下ろして削ったかのような傷跡がぱっくりと開いていた。
 木に刺さるはずだった矢も巻き込まれてずたずたに折れて地面に散らばっている。
「マジかよー、今のも避けられるってどういう反射神経だよ」
「タイミングが悪いんじゃねぇの?」
 どこか呑気なぼやきが聞こえてそちらを見れば、二人の人影はもう随分と近づいていた。
 ローブの男が杖を構えている所を見ると、どうやら傍らの背の低い男が放った矢に隠れるように、時間差で攻撃をしかけてきたらしかった。
(……風か?)

 どちらにせよ厄介な事だ。
 ディーンは一旦木の後ろに隠れて対抗手段を考えた。
 矢だけなら剣で叩き落すか避けるかすればいいが、魔法はそうはいかない。
 さっきの攻撃もあのまま剣を振っていたら魔法を避けきれず負傷していただろう。
(なかなかやるな)
 一人の力の弱さを連携で補うつもりなのだろう。
 二人はぼそぼそと何かを相談している。
 それを確認するとディーンは木の作る影と重なっている己の影を見下ろした。
 ディーンの影は未だ濃い色のままで木の陰にも隠れていない奇妙な姿を晒している。

『闇の精霊よ 我に応えよ』

 さわり、と影がうごめいたような気がした。
 呼びかけなくても精霊達は常にディーンの傍にいるが、それでも声に出すのは彼なりの礼儀のようなものだった。
 そんな律義な彼に精霊は喜んで応える。
 彼が言葉にせず投げかけた意思に従って影はそろりと二つに分かれた。
 一つはディーンの黒い服の左腕に絡まり、一つはするりと森の中に離れていく。
 それを確認するとディーンはパッと木の影から走り出した。
「おい、ライ! 来るぞ!」
「へいへい。俺は戦闘向きじゃねぇんだけどなぁ」
 そういいつつもライは弓矢を構えて放った。
 木を盾にして少しずつ近づいてくるディーンに弓矢を放ちながらライはその先の彼の進路を予測する。次に隠れるであろう木を予想しながらその進路の方に向けて矢を放つ。
 更にライは間に何本かわざと外して弓を放った。
 それによって相手の進路を少しずつ操っていく気なのだ。獲物の速度と進路を予想し、それをほんの少し誘導するように弓を放つのはライの得意技だった。
「行くぞ」
 ライがコードに声をかけるとライが弓を向けた方にあわせてコードもその場に屈んで膝立ちになると杖を構えた。
 ヒュン、と弦が鋭い音を立てた。音は一つだったのに、速射された弓矢は二本続けて飛んでいく。
 放つ音はほとんど間を空けず連続して聞こえるほどの早さだ。
「風よ! その鋭き爪にて 敵を切り裂け!」
 ライが矢を飛ばした進路からさらに少し先にずらしてコードが風の刃を放った
 風の刃は辺りの草や若木を切り飛ばしながらディーンの足を狙って飛んでいく。
 矢と風の進路に、ディーンは止まりきれず走りこんだ。
 キン、とディーンの剣で叩き落された矢が跳ねた。
 しかし先ほどと違って低い位置を走る風の刃は転がってももう避けきれない。
 もらった、と二人は思った。

ザシュッ!!

 鋭く切り裂く音がして、ディーンの体がその場にドサっと倒れる。
「やっりぃ!」
「ヒュー、マジで当たった!」
 ライの作戦に半信半疑だったコードは立ち上がって喜ぶ。
「なんだよ、大した事なかったじゃん。こんなの逃がすなんてアロナもモースもなってねぇなぁ」
「大方モースの足が遅くて逃げられたんじゃねぇのか?」
 ありえる! などと二人はひとしきり笑い、それから倒れたままピクリとも動かないディーンに視線を戻した。
 風は足を狙ったと思ったが、それにしては倒れた相手は動きもしなければうめき声も上げないのはおかしい。
「起き上がらねぇな……」
「……打ち所が悪かったとか?」
「怖いこと言うなよ。俺らの責任になるじゃん!」
「う、うん……強制送還される気配もねぇしな。大体、魔法の威力は絞ってあるから死ぬほどじゃねぇ、と思うけど……」
 二人はそろそろと倒れたままのディーンの方へと向う。
 こちらをおびき寄せる作戦という事も考えて、とりあえずコードは離れた所で立ち止まりライがディーンに近づいた。
 大分近づいた所でライは違和感を感じて立ち止まった。
 目の前の人影はうつ伏せで、向こうを向いて倒れていて顔は伺えない。
 何かがおかしい、とライは思った。だが具体的に何が、と答えを出す前にそれは起こった。
「っ!?」
 突然脇の繁みから飛び出した人影が、ライが構えていた弓に向かって剣を振り下ろした。
 ピン、とかすかな音を立てて弓の弦が断ち切られる。
 しまった、と思う間もなく間近に迫った剣の柄が彼の首へと振り下ろされた。
「ライっ!?」
 ドサ、と音を立ててライはその場に倒れ伏した。
「くっ、こ、この! 風よ! その鋭き爪で 敵を切り裂け!」
 ヒュォ、と風が鳴ってディーンへと迫る。
 するとディーンは迫り来る見えない刃にスッと左手をかざした。
「!?」
 当たる、とコードは思った。
 しかし無防備に差し出された左腕が風によって切り裂かれる直前、ディーンの腕を包む服の袖がぶわり、と広がった。
 薄幕のようになった黒い袖は、ディーンの腕と体を守るように大きく広がり風の進路を阻む。
 だがその布は明らかに風の刃を止めるには頼りない。
 何を広げたのか知らないがそんな物簡単に切り裂ける、とコードは勝利を確信した。
 しかし――
「はぁっ!?」
 次の瞬間、目の前で広がった袖は不可視の刃を絡めとり飲み込んだ。
 布に触れた音すら聞こえず、わずかに黒い幕が揺らめいた事だけが風が当たった事を示していた。
 直後、風の刃に細く繋がっていたコードの意思がプツリと断ち切られた。
 それっきり、風の刃は完全に黒い布に飲み込まれ消失してしまった。
 切り裂けると思った布には穴一つ開いていない。
 バカな、とコードは震えた。
 まるで手品でも見ているかのようだった。
 コードは風の魔法には自信があるし、とりわけこの森に来てからというもの彼の魔法は調子がいい。この森に満ちた風の気が彼の力を助けているのだ。
 それなのに今、彼の魔法は何の余韻もなく簡単にかき消されてしまった。
 しかも相手は武術学部在籍の人間だというのに、だ。
 しゅる、とディーンを包んでいた布が彼の腕に戻る。
 その布の向こうから姿を見せたディーンは傷一つない。
 先ほどディーンが倒れたはずの場所を見れば、いつの間にかそこには何もなかった。

 ディーンが今使ったのは勿論闇の精霊だった。
 闇の精霊を自分の身代わりとして木の陰に入り込んだ時に入れ替わって走らせたのだ。
 常に彼の傍に寄り添う精霊達は彼の意思を組み、簡単な事なら独自の動きもこなしてくれる。彼の腕に宿り、盾となったのも闇の精霊だった。
 ディーンが黒い服を着る事が多いのは趣味というよりはこういった実用面からの理由なのだ。
 先ほどまで身代わりをしていた影は既にディーンの足元に戻ってきている。
 そんな事はコードにはわからなかったが、完全に騙されたのだということだけは彼にも理解できた。
 魔法学部の人間が、武術学部生の使う訳のわからない魔法に負けたのだと思うとコードの中に怒りが湧く。

「風よ! その鋭き牙にて 我が敵を捕らえ噛み砕け!」
 怒りに駆られたコードはさっきよりも威力のある魔法を唱えた。
 風は獰猛な牙を持つ獣のように渦を巻いてディーンに押し寄せた。
 しかしその牙も彼に届く事はなかった。
 ひゅ、と今度はディーンの足元から立ち上がった影が彼の体全てを包んだ。
「なっ!?」
 驚くコードの目の前でディーンを包んだ影に風の塊がぶつかる。
 しかし今度もその牙は振るわれる事のないままヒュゥ、と小さな音を立ててそれに飲み込まれた。
 ぽちゃん、と一瞬だけ水面に小石を落としたかのような波紋が表面に広がる、ただそれだけ。
 その影がまたただの影へと戻る頃には無傷のディーンがそこに立っていた。

「諦めろ。攻撃は効かない」
「くっそ、なんだよそれ! 反則じゃねぇか!」
「反則というならお前達の行動の方だろう?」
 チャ、と剣を構えなおしたディーンが一直線にコードの元へ向ってくる。
「くっ、か、風よ! 風の刃よ!」
 半ばパニックになったコードは立て続けに苦し紛れの呪文を唱える。
 完全な呪文ではないそれは、それでもこの森の力を借りて幾つかは形を成しディーンに襲い掛かった。
 しかしそれを左腕に宿した闇の精霊の盾で打ち消しながらディーンは気にせず進む。
「うっ、うわぁ!!」
 ディーンの剣がコードの杖を弾き飛ばし勝負が決まった、と思われた瞬間、森に異変が起こった。
 森の奥、ディーンが先ほどまで目指して走っていた方角から突如光が溢れてきたのだ。
「!?」
「わぁっ!?」
 森に光が溢れ全てを飲み込んでいく。
 光に飲まれる瞬間、影はそれでもディーンを守ろうと一際大きく広がり、コードは闇雲に最後の魔法を放った。

そして森は、白に包まれた。




「――っ、う……」
 光に包まれたのは長い時間ではなかった。
 ディーンはほんの一瞬気を失ったが、すぐに自分の身に起きた異変で目を覚ました。
「っつぅ……」
 ポタポタと地面に赤いものが散る。ディーンはそっと身を起こして自分の体を確認した。
 左の肩から胸に向けて、大きくはないが浅いともいえない傷がぱっくりと開いている。
 あの光に包まれた瞬間、コードが最後に放った風の刃で切り裂かれたのだ。
 軽く動かしてみると痛みはあるが肩は動いた。
 指も腕もちゃんと動いた事にほっとする。
 目の前をみればコードはあの光を受けたショックで気を失っている。
 ディーンの身は闇の精霊が最後まで守ろうとしてくれた為、光の影響は小さくて済んだらしい。
 だが圧倒的な光に負けて闇の精霊はどこかに飛ばされてしまった。
 そのせいで、コードが最後に放った魔法が掠めてしまったのだろう。

「……ついてない、というべきか」
 周りの気配を探ったが闇の精霊はどこにもいなかった。
 どうやら随分遠くに飛ばされたらしい。
 恐らく今呼び出してもこんなに光の気が溢れた後ではすぐには戻ってはこれないだろう。
 いつも傍にいた気配がない事で少し周りが寒くなったように感じながら、とりあえず止血をとディーンは動いた。
 丁度良い布が目に止まり、ディーンは握ったままだった剣で目の前に倒れている少年のローブの裾を、起こさないように気をつけながら勝手に大きく切り取った。
 それを裂いて包帯代わりにして肩に巻き、簡単な止血を施すとすぐに立ち上がって歩き出した。
 ついでにその時に指に触れた、襟に止めてあった学園のバッジは外して捨てて置く。
「今戻されたら困るからな……」
 倒れたままの少年二人を強制送還させるべきかと一瞬悩んだが、その時間が惜しいとディーン判断した。
 あれだけの魔法を誰が使ったのかはわからないが、そっちの方がかなり切羽詰った状態になっている事は間違いなさそうだ。
 あんな暴走とでも言うような光が放たれれば獣達もしばらくはこの近くに近づかないだろう。
(急がなければ)
 肩の痛みを振り払ってディーンはまた走り出した。
 走るというには少し足りない速度しか出せなくなっていたが、それでも懸命に光の放たれた方向を目指す。
 あの光に驚いたのか森の中は驚くほど静まり返り、鳥の声すら聞こえない。
 ディーンはその静けさを、今なお嵐の前の静けさであるように感じていた。

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