23:不本意な戦い(前)

「清らなる水よ その清き御手にて 我が敵を絡め取れ!」
「大地よ! 我が眼前に盤石なる壁を成せ!」

 ゴシャァッ!

 水が壁にぶつかる音が周囲に響いた次の瞬間、地面から盛り上がっていた土の壁は水に負けてぼろぼろとその場に崩れた。
 どうにか魔法は相殺できたが、思ったよりも壁の強度を上げられなかった事にシャルは舌打ちをした。
 突然目の前に現れたコーネリアと対峙したシャルは、先ほどからこうやって何回か魔法をぶつけ合っていた。
 しかしどう見ても押されているのはシャルの方だ。
 シャルは防御ばかりで攻撃魔法を使えないでいる。その防御の魔法もこうして作った端からあっさりと崩されてしまう。
 対してコーネリアが使っているのは捕縛の為の魔法が多い。
 つまり彼女は本気ではないという事だった。
 恐らくは何かの時間稼ぎなのだ、と気づいてはいるが、それはこちらにも好都合でもある。

(ジェイとディーンが戻ってくるまでは、持ちこたえないと……)
 シャルはまた始まった頭痛と戦いながら必死でイメージを練った。
「光よ!我が身を包む堅固なる鎧と成れ!」
 シャルの声に合わせて光が彼女の周囲に集まる。
 しかしその体を包むかと思われた光は、突然ふぅっと風に吹かれたかのように消えてしまった。
「なっ!?」
 その様子を見てくすくすとコーネリアが笑う。
「随分調子が悪いみたいですわね? やっぱり火しか取り得がないと大変ですわぁ」
 ぐ、とシャルは唇を噛んだ。
 普段火の魔法ばかりを使ってきたツケだ、と思う。
 火のようにたやすく燃え上がり変化しやすい属性に慣れてしまっているから、咄嗟に他の属性のイメージを瞬時に掴む事が上手く出来ないのだ。
 特に、固いものや変化に乏しいものをイメージする事が、頭痛と戦う今の状態では上手く出来ないでいる。
 それならば火に近い光を使おうと思ったが、やはりそれを固定させることが出来なかった。

 詠唱魔法において呪文はあくまでも起こす現象のイメージを明確にする為の呼び水でしかない。唱える人間によって少しずつ言葉が違うのもその為だ。
 だから幾ら呪文が正しくても、自分の中に魔力を注ぎこむ器たるイメージがしっかりと作り出せなければ現象はすぐに霧散してしまう。
 頭痛などはその最たる敵の一つなのだ。

(こんなんじゃ皆に顔向けできないわね)
 自嘲気味に笑って、シャルは杖を握りなおした。
 ふと思い立って胸元を見る。そこには学校支給のバッジが着いている。
 プチ、とそれを外すとポイと脇に放り投げた。
 本当は規則違反だがこの際仕方ない。負ける気はないが、うっかり怪我でもして強制送還されたらたまらない。
 目の前の少女と向かい合ったまま、じりじりと時間が過ぎる。
(遅いわよ、ジェイ)
 脳裏を、金色の短い髪と明るい笑顔がよぎった。
 ス、とコーネリアが杖を振り上げる。また仕掛けてくるつもりだ。
 何か手はないか、とシャルは必死で考えた。
 火は柔らかいイメージで使う場合が多い。できれば火に近い何かを、と必死でイメージを探る。
 ふと、コーネリアに破壊された水浸しの土の壁の残骸が目に入った。
(これだ!)
 シャルは高らかに呪文を唱えた。
「大地よ! 其は水を得て柔らかき波となる!」
 途端、足元の土がぐにゃりと崩れた。
 ざぁっと崩れた土は柔らかな泥となりコーネリアへと押し寄せる。
 崩れた泥が地面を走る姿は炎が地を舐める様子にもどこか似ていた。
 これも詠唱魔法の利点だ。イメージさえ固められれば即興でも、多少の無理を通す事もできる。
(行け!)
 しかし即座にコーネリアも迎え撃つ呪文を唱えた。
「清らなる水よ 我が前に集いて 敵を穿つ槍となれ!」
 たちまち空中に生まれた無数の氷の槍が地面に突き立つ。
 けれど氷柱では柔らかな泥の勢いを止める事は出来なかった。
 泥はその間を縫って走り、たちまちコーネリアの足元を埋めた。

「きゃぁっ!」
 シャルは泥をかき集めてコーネリアの腰までを覆った。
(火が使えれば……!)
 火が使えたならその泥を乾かして完全に固めてしまう事も出来たのに、と思うが仕方ない。
 せめて更に泥を増やして重みで足止めするしかない。
 シャルの意思に導かれて更に泥が増え、コーネリアに向かって押し寄せた。
「くっ、清らなる水よ! その清き流れで全ての穢れを押し流せ!」
 次の瞬間、コーネリアの声に答えて川の水が溢れ出した。
 泥に固められた彼女に向かって流れてくる。
「大地よ! 彼女の為にその身を守る壁を成せ!」
 とっさにシャルは防御の為の呪文をコーネリアのために使った。
 コーネリアの周りに土壁が立ちはだかり、コーネリアが川から呼んだ水を弾く。
 強度の足りない土壁はすぐに崩れ始めてしまったが十分に水をせき止めた。
 その隙にコーネリアに絡んだ泥はじわじわと更に彼女を深く包む。 
 気がつけばコーネリアは胸までを重たい泥に覆われ動く事ができなくなっていた。

「こっ、この非常識! 敵に防御の魔法を使うなんて!」
 自分についた泥を水で洗い落とすつもりだったコーネリアは、シャルの予想外の行動に驚き、頭にきたらしい。
「ふん、カナヅチのあんたが水に流されたらいけないって、助けてあげたのよ」
「自分の放った水で流される魔道士なんているわけないでしょう!!」
 怒鳴りながらもコーネリアはシャルの咄嗟の魔法の使い方に内心では驚いていた。
 シャルの強さはこの咄嗟の機転にある。
 いざと言う時の判断力や魔法の選び方が優れているのだ。
 その点ではコーネリアはまだシャルに劣っている事を認めざるを得ない。
 そんなコーネリアに軽口を叩きながらシャルは頭の中で必死で自分に残された手段を探っていた。
 火は絶対使用禁止、土は強度不足、光はイマイチ反応薄し、風は……得意な属性だが、さっき使おうとしたら自分の中の魔力が煽られて暴走しそうな嫌な予感がしたから却下。
 あとは水と闇は大の苦手だ。

(まったく、最悪ね)
 せめてこの頭痛がなかったら大分違うのに、それは治まるどころか段々ひどくなるばかりだ。
 それでもシャルは必死で自分の中でイメージと魔力を練りながらこの後の手を考える。
 これ以上魔法戦を挑んでも今の状態ではこちらが消耗するばかりで、恐らくいずれは彼女の魔法に捕らえられてしまう。
 コーネリアは今杖こそ振れないが呪文は唱えられる。じきにあの泥も崩されるだろう。
 それまでにテントの所まで行けば結界に逃げ込める。
 だがそこまで考えてそれにも不安があることを思い出す。
 そもそもコーネリアがここに一人で来るはずはないのだ。
 さっきの悲鳴は恐らくジェイとディーンをおびき寄せて自分達を分断する為のもの。
 となれば、あっちに何人いるのかはわからないが、この近くに他に仲間がいないとも限らない。
 森に逃げ込んだ自分を待ち伏せする者がいるかもしれない。

(けど必ずそうとは限らないし、テントの方は無理でも森に逃げ込めば川は遠くなるからその水は利用しにくい。木を盾にもできそうね)
 よし、とシャルは心を決めるとさっさとそれ以上の魔法を諦め、即座に踵を返して走り出した。
 熱を持った体は重いが少しの距離なら走れない事はない。
「あっ、お待ちなさい! もう! 清らなる水よ! その清き流れで全ての穢れを押し流せ!」
 今度はコーネリアの呪文の効果はちゃんと彼女に届いたらしい。
 けれどその泥が洗い流される前にシャルは森の中に逃げ込む事に成功していた。
「清らなる水よ! 我が穢れを洗い流したまえ!」
 川から押し寄せた水はコーネリアの足を開放した。
 彼女はもう一度呪文を唱えて、流れてきた水で今度は上のほうも綺麗に洗い流す。操られた水球はブラシのようにコーネリアを撫でて泥を落とした。
 しかしローブに絡みついた泥は完全には落ちず、その上水浸しでどっしりと重たくなってしまった。
「もう許しませんわ! よくも私を泥だらけに!」
 コーネリアは重たいローブを手で掴みながらシャルの後を追って森に向かって走り出した。


 シャルは森の中に分け入り、茂みを掻き分けて走った。
 あまり遠くへ行く事は体力的に難しいと判断して、視線を走らせて隠れる場所を探す。
 格好悪いが仕方ない、と自分に言い聞かせて木の根を乗り越えて奥へ走った。
 非常事態にはプライドをたやすく捨てて見せる柔軟性もシャルの持つ強みだ。
 テントの方から外れた方向へ来たためか辺りに人影はない。
 賭けの第一段階は成功したらしかった。
 そのまま目の前の木の後ろへ、と思った瞬間、
「きゃっ!」
 ドサッとシャルはその場に倒れこんだ。
 足がもつれ、木の根に躓いたのだ。
「いったぁ……」
 シャルはどうにか起き上がると足を引きずりながら目指していた大木の影に座り込んだ。
 膝を見ると木の根で擦ったらしく血がにじんでいた。
 体のあちこちを簡単に点検したが傷はそれだけで足も挫いたりはしていない。
 まだ走れる、と思ったが一度座り込んだ体は急に重くなり、立ち上がる力が湧いてこない。
 直にコーネリアが森の中へ追ってくるだろう。ここはまだそんなに距離が離れていないから見つかる可能性は高い。

(仕方ないわね。見つかったらまぁ、その時はその時よね)
 シャルはあっさりとこれ以上の無駄な逃亡を諦め、ひとまず呼吸を整える事に専念した。
 すぅ、と深呼吸すると森の涼しい空気が熱を持った体を少し静めてくれる。
 ふと視線が自分の手首に落ちた。
 アーシャがくれた蔦を編んだ腕輪が目に入る。
 大丈夫だ、と言っていた少女の姿が思い出される。
(アーシャが戻ったら誰もいなかった、なんて事には絶対させないんだから)
 シャルの為に一人で奥地を目指してくれた彼女の厚意を無駄にはさせない。
 戻ってきたら全員強制送還なんて笑えない事この上ない。
「……光よ、一時その輝かしき道を曲げ、愚者の目から我が姿を隠せ」
 シャルは光を屈折させ姿を隠す魔法を使った。
 キラキラと彼女の体の周囲が一瞬輝き、そしてそれも消える。
 今シャルがいる所を誰かが見ても何の変哲もない森の風景に見えるはずだ。
 それは一つの属性でどんな現象が起こせるのか学ぶという授業で理論だけを学んだ魔法だった。
 シャルは姿を隠す事なんて趣味じゃなかったから実際に使ったのはこれが初めてだ。
 魔法とは、在り得ることを理解し具現させ、そしていつかその壁を越え在り得ない現象を具現させてこそのものだという。
 シャルはまだやっとその奥への入り口に立ったに過ぎない自分を改めて認めた。使った事のない魔法なんて山ほどある。
 地味だとか趣味じゃないとか、くだらない理由で無視してきた魔法に今助けられている。

(火が……恋しいわ。火でも、きっともっと色んな事ができたかもしれないわね)
 燃やすとか壊すとか、気づけばそんなバリエーションばかり増やしてきた。
 火の魔法にも、在り得る現象だけにもすっかり囚われてしまっていたと反省する。そんな事を考えていると、背後からガサガサと音がした。
「どこに行きましたの! 隠れてないで出てきなさい!」
 コーネリアの出現時間が大体思った通りだった事にシャルはほっと息をつく。まだ頭はそれなりに働いているらしい。
 コーネリアはぶつぶつ言いながら繁みを掻き分けて奥まで進んできた。
 シャルが息を潜めて隠れている場所は、途中で転んだ事もあって川原からそんなに離れていない。
 それと気づかずコーネリアはきょろきょろしながらシャルの脇を通り過ぎてしまった。
(魔法効いてるみたいね、良かった……)
 そのまま奥へ行くか、諦めてくれとシャルは祈る。
 祈りが通じたのか、コーネリアが奥へと向かって歩みを進めたその時、
「コーネリア、コーネリアー?」
(!?)
 コーネリアを呼び止める声が彼女の足を止めた。
 ついさっき自分達が来た方向から、ガサガサと歩く音が近づいてくる。
「エナ? どうしましたの?」
(仲間か……まずいわね)
 エナはよたよたとコーネリアの所までやってきて、ふぅ、とため息を吐いた。
「テントの方はどうなりましたの? もう終わりまして?」
「そ、それが、テントを隠す結界が強くて……テント自体がまだ見つからないの」
「なんですって?」
 狙いはそっちか、とシャルは納得した。

(それで魔法が大人しかった訳か……全く、ろくでもないわね)
 大方荷物の準備が悪くて食い詰めたのだろう。
 それで他のチームの食料を狙うなんて本当にろくでもない話だ。
「わ、私とローグで探査してみたけど、この辺にあるっていう大体の場所以外どうしても見つからなくて……それで、結界を張った人を捕まえてくるしかないって」
「なるほど。そうなるとどうあってもシャルフィーナを捕まえるしかありませんわね……多分結界を張ったのは彼女でしょう」
「この近くにいるの?」
「この先の森に逃げ込んだようなの。まだ余り遠くへは行っていないはずですから一緒に探して頂戴」
「う、うん……」
 少女二人は森の奥へと歩き出した。ちょうどシャルに背を向けて歩いていく形だ。
(よし、そのまま奥まで行って!)
 このまま彼女達が森の奥へ消えれば自分は逃げ切れる。
 そうすればどうにかジェイやディーンと合流できるはずだ、と思った矢先だった。

「おーい、シャルー? どこだー?」
(!?)
 川原の方向から自分を呼ぶ声がしてシャルは仰天した。
 それは間違いなくジェイの声だった。
「シャルー、おーい!」
 ジェイはそのままガサガサとこちらのほうへ近づいてくる。
 このままでは確実にコーネリア達と鉢合わせだ。
(こ、このバカ! なんて間が悪いの!!)
 立ち上がって怒鳴りつけたいのをシャルはぐっと堪えた。
 大きな動作をしたり声を出したりすればこの魔法は解けてしまうのだ。
 コーネリアとエナはジェイの出現に気づいて少し離れた所で足を止めて振り向いてしまった。
 シャルがハラハラと見守る目の前で、二人に気づいて近づいたジェイが立ち止まる。その位置はシャルからみれば目と鼻の先だ。

「あ、あらジャスティン様! ご、ごきげんよう!」
「ご機嫌なんかよくねーよ。シャルはどこだ?」
 ジェイらしからぬ不機嫌な声音の返答にシャルは目を見張った。 
 ジェイは人にそんな口を聞くことは滅多にない。
 口は悪いがそれは大抵シャル限定で、他の人間には当たり障りなく優しい普通の少年なのだ。
 シャルは誰かにこんなぞんざいな口調を使うジェイを今まで見た事がなかった。
「し、知りませんわ! 森の方へ走っていったのを見ましたけれど……」
「あのな、いくら俺がバカでもそんな事信じるとでも思うのか? お前ら俺達を足止めして荷物を奪うつもりだったんだろ? だったら、シャルの相手するのなんてあんたくらいしかいないはずだ」
「そ、それは……」
 コーネリアは思わず言葉に詰まった。ジェイ相手にはあくまで猫を被っていたかったらしい。
「シャルはどこだ? どうにかしたっていうなら女でも容赦しない」
 いつものジェイからは想像もつかない厳しい顔でジェイは淡々と告げた。
 その言葉と気迫にコーネリアとエナは思わず後退る。

「な、何も、本当に何もしていませんわ! ただ、彼女に逃げられただけです……!」
「……そっか」
 ジェイはほっとした様子を見せた。
 それがコーネリアには面白くなかったらしい。
 ジェイの気迫に押されはしたが、よく考えてみれば二対一なのだ。
 コーネリアはそっと杖を握る手に力を込め、魔力を練った。
『聖なる光の精霊よ! 我が呼び声に応えよ!』
「っ!?」
 ジェイがシャルを追うべきか、と一瞬考えた隙にコーネリアは高らかに聖句を詠唱した。
 キィン、と高い音と共に一瞬彼女の周りが光る。
「光の精霊よ! それを網となし彼の者を捉えよ!」
 コーネリアの声に反応して即座にその目の前に光が収束した。
 彼女が杖で指し示す方向へ、その先にいるジェイを捕らえんと向ってくる。
 シュル、と投網のように広がる光の帯に、避けられない、とジェイが身構えた次の瞬間、
「どりゃぁ!!」

 ドカッ!

「どわぁっ!!?」

 斜め後ろから突然の激しい衝撃を受けてジェイの体は吹っ飛んだ。
 コーネリアが放った光はついにジェイを捕らえる事ができなかった。
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