21:彼の小さな悩み |
ディーンは森の中を走りながら少し悩んでいた。 後ろからはまだ少し距離はあるが、背の高い大柄な男が懸命に彼を追ってくる。 ジェイと二手に分かれた時、ディーンはわざと速度を落として走って見せた。 走るのが遅そうな方を誘ったのだが、やはり彼を追ってきたのは重量のありそうな大剣使いの男のほうだった。 時々その姿をチラ、と確認して記憶を探るがやはり見たことの無い顔だと思う。 ディーンと同じ学年で大剣を武器とするものは多くない。 まだ体格的にも成長の段階としても不向きだから教師も生徒に勧めないからだ。 だから、幾ら生徒の人数が多くても大剣を専攻する人間にはある程度の見覚えがあるはずだ。 くわえて、同じ学年にして既にあの体格という事はひょっとするとあれかもしれない。 それならばあまり見覚えが無いのも頷ける。 人のことは言えないとは思うが、さっきの罠といい、棒を持っていた女の雰囲気といい、随分と癖のあるメンバーを揃えたものだと相手チームに感心すらする。 まぁ、そもそもリーダーからしてアレなのだから妥当なメンバーが集まったのかもしれないが。 だがディーンの悩みは実の所それではなかった。 (どのくらいまでなら正当防衛の範囲に入るだろうか……) 自動的に緊急強制送還されるほどはやりすぎだろうと思うが、ああいう無駄に体力のありそうなタイプは半端な事をするといつまでも立ち上がってくる場合が多い。 (腱を切ってもすぐに医務室に送られるなら治るとは思うが) だがあまりやりすぎて学園側から過剰防衛で責められるのも面倒だし、おかしな逆恨みをされてもうっとおしい。 どのくらいの怪我ならそれらをちょうど良くすり抜けられるのか。 走りながらディーンはそんな実に物騒な案件で頭を悩ませていた。 そのまま少し走り続けていると、前方に少し開けた場所が見えた。 どうやら年を取った木が倒れた為にできた空間らしい。 朽ちかけた倒木が転がり、周囲には若木が茂っているがちょうどいいスペースだ。 ディーンはその場で立ち止まると相手が来るのを待った。 「くっそ、やっと、止まりやがった、か」 ゼェゼェと呼吸を荒げながらやっと男が追いついた。 (このくらいで息が上がるならたいしたことはないな) すぐに終わらせよう、とディーンは決める。 木々の隙間からはちょうどいい具合に日が差し込み、周囲の木々や自分の影を濃くしている。 「抜け!」 そういうとモースは背中に背負っていた大剣を抜き放ちディーンへと向けた。 ディーンもそれに応えて一応剣を抜く。 だがその構えにはまるで気迫がなかった。 (怯えてやがるな……) モースはいつものようにそう判断した。 同学年の生徒は彼を見るといつもその体格や持っている剣にしり込みをするのだ。 こいつはもう少し骨があるかと思ったが、所詮はこんなものだろう、と勝利を確信してモースはニヤリと笑った。 しかし不意に、ディーンが口を開いた。 「留年組か?」 モースはその唐突な質問に一瞬ぽかんとした顔をし、次に思いきり渋面で答えた。 「だったらなんだ! 老けてるとでもいいたいのか!? 年下だからって手加減しねぇぞ!」 「いや、別に。確認しただけだ。ただ、何年留年しているかは気になるが」 モースの顔に血が上る。それは彼にとって完全に地雷だった。 「俺が何年留年しようと関係ねぇだろうが! すぐに気にならなくしてやるよ!!」 ブォン、と風を切って大剣が迫る。 そのまま受ければ剣は弾かれ下手をすれば腕の骨が折れるほどの勢いだ。 (怒る所を見ると少なくとも一年じゃないだろうな。三回目くらいか? 学科での留年だろうか) 単なる好奇心からそんな事を考えながら、ツ、と一歩後ろに下がって間合いから外れる。 ディーンの鼻先を剣が通り過ぎ、後からきた風が髪を揺らした。 「チッ!」 バサッと音がして彼が振り切った剣の先にあった若木がばっさりと切り落とされた。 「!」 それに目を留めたディーンに気づく事もなくさらにモースは剣を振るう。 ディーンがその剣をひょいひょいと避ける度、バサ、バキ、と痛々しい音が森に響き、力任せのモースの剣は森の木を折り、削り、切り落とした。 「……木が」 「木の心配なんてしてる余裕あんのかぁ? さっきから逃げてばっかりじゃねぇか!」 モースはそう言って獰猛に笑うとまるで見せ付けるかのように、しっかりと根付き始めたばかりの若木を踏みつけた。 彼が暴れた為、日の光を受けて育っていた草花も既に散々に踏みつけられ蹴散らされていた。 ディーンはその光景に思わず眉を寄せる。 「……アルシェレイアが」 「ああ!?」 ガキィンッ! 甲高い音がして剣と剣がぶつかった。 ディーンが始めてモースの剣を避けずに受け止めたのだ。 ギチ、と絡み合った剣が嫌な音を立てる。 チャンスだ、とばかりモースは剣を押す手に力を込めた。 長剣ならその重さから言ってもたやすく押し負かせるだろうと思ったのだ。 ぐぐぐ、とモースの剣がディーンの顔に近づく。 モースはディーンのそのいけ好かない取り澄ました顔にぜひとも傷を付けてやるつもりだった。 だが剣の方に意識を集中していたモースは気づかなかった。 地面に落ちる二人の影が重なり合い、そこからひゅるりと何かがモースの影に移ったことに。 それによって自分の影がディーンのそれよりも一色濃くなったことに。 次の瞬間ディーンがふっと剣から力を抜いた。 (力尽きたか!) 歓喜を顔に滲ませてモースは止めとばかりに剣に力を込めた、つもりだった。 「!?」 異変はすぐに起こった。 腕が動かないのだ。 幾ら筋肉に力を込めても、体ごと傾けて体重をかけようとしても、自分の体がピクリとも動かない。 モースの体は彼の意思に反して突然完全に硬直してしまった。 困惑するモースをそのままに、ディーンはすっと身を引くと剣を鞘に納めた。 そしてモースにも命令をする。 「剣をしまえ」 (何をバカな) と言おうとしたが口すらも開かなかった。 それどころか、次の瞬間モースは更に驚愕した。 自分の腕が勝手に動いて剣を背中の鞘にしまおうとしているではないか。 パクパクと口を動かして抗議しようとするがそれすらも敵わず、己の意に反旗を翻した腕はそのまま背中へと回り、丁寧に剣を鞘に納めてしまった。 カチリ、と留め金までかけた腕は仕事が終わるとまるで次の命令を待つかのようにだらりと垂れ下がった。 (何をしやがった!?) 問いただしたくてもモースの口からは荒い呼吸が漏れるだけだった。 それを無視してディーンは足元でぐったりとうなだれる花を見つめ、そっと手を伸ばして植えなおしてやった。 「……アルシェレイアが悲しむな」 ディーンは相手に好き勝手に剣を振らせた自分を反省していた。 すまない、と小さく森に向かって謝ると立ち上がってモースに向き直る。 今やモースは得体の知れないものに対する恐怖で精神までもが完全に硬直していた。 彼はディーンの事をただの長剣科の若造だと思っていたのだ。 流石の彼でも今自分を捕らえているのはきっと魔法だろう、と予測はついたが相手が魔法が使えるなんて聞いてない。 コーネリアからも事前に相手チームについて簡単に聞いてあったが、魔法を使えるのは女達だけだと言われていたのだ。 (卑怯だぞてめぇ!) 口が利けたならそう怒鳴ってやりたかったがそれはやはり叶わなかった。 ディーンはこの相手をどうするか少し考えた。 殴って気絶させても良いが打たれ強くてすぐ目を覚まされても困る。 だがすぐにそれよりも面倒のない方法を思いついた。 「少し眠っていてくれると助かる」 ディーンの声に呼応してザワ、とモースの影が動いた。 陰からひゅるりと細い手が伸び、見開いたままのモースの目をそっと覆う。 「……そうだな、ああ、いや永遠でなくていい」 さらりと物騒な事を言われ、視界をふさがれたモースの体に震えが走る。 ディーンはそんな事は無視して精霊へと願う言葉を考える。 「一日……では少ないか。先に目を覚まされてある事ない事言われても困るな」 人間の定める善悪も、力の加減も精霊には関係がない。 して欲しい事の範囲をきちんと定めなければ、彼らは愛した人間の命令にはすぐにやりすぎる。 このままにしておけばそれこそモースは永劫の闇の中で眠ったままになるところだ。 それが精霊魔法の恐ろしさの一つだ。 「長すぎても魔法医がどうにか目を覚まさせるだろうしな。ではできれば七日くらい眠って、今の事は全て忘れると良いだろう」 その言葉に呼応した闇がまたぞろりと動く。 しゅる、と衣擦れにも似た音を立てて陰はすっぽりとモースを包み込んだ。 一瞬だけ完全に彼を黒く覆った、と思った途端またひゅるりと離れる。 ドサリと重い音を立てて、モースの体はようやくその場に倒れる事を許された。 倒れた彼はピクリとも動かず、いびきもかかないほど深い眠りに落ちていた。 ディーンはそっと彼に歩み寄った。 ディーンの足元、再び交わったモースの影から、それはまたディーンの影へと帰っていく。 「……重い」 ディーンはモースの重い体を乱暴に蹴り転がして仰向けにした。 鎧下のシャツの襟に付けられた小さな銀のバッジをそっと摘む。 真ん中の小さな飾り石をぐっと押すとカチリ、と音がした。 「リタイアだ」 そう告げてさっと離れると、ヴン、と音がしてモースの周りに魔法陣が展開された。 陣がパァッと一瞬の強い光を発する。それが治まった時にはもうモースの姿はどこにも見えなかった。 ディーンは足元を見た。影はまたいつものように濃くなっている。 「ありがとう。お疲れ様」 そう言ってディーンはずっと傍にいた闇の精霊を開放した。 それでも彼らが遠くへは行かない事はわかってはいたけれど。 周囲の草木を直してやれない事をすまなく思いながらディーンはまた走り出した。 また少しばかり悩みを抱えながら森の中を走る。 (こんなに大した事がないならジェイに譲ってやれば良かった。……こんな風では剣の腕が落ちるかもしれないな) 簡単過ぎた勝負は実に退屈だった。 先を急ぐのだから仕方ないが、物足りなさは否めない。 帰ったらジェイを訓練に付き合わせよう、と考える彼の足元の影は未だ濃い色のままだった。 |
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