17.誤解と和解 |
放課後、シャルは学生課に向かって歩いていた。 今日は秋の野外実習の申請用紙と、その後に行われる魔法学部の競技会の参加申込書を取りに行くつもりだったのだ。 秋から冬にかけて、今年の魔法学部の生徒達は忙しい。 十月の終わり頃から十一月にかけては後期の野外実習が行われるし、それが終ればすぐに魔法競技会だ。 そろそろそのどちらも予定を組んで書類を提出しなければならない。 魔法競技会はその名の通り生徒達がそれぞれの魔法の技術を競うものだが、幾つかの部門に分かれており基本的に学年別で行われる。 そして各学年の優勝者だけが、その後に行われる学年合同の試合に参加できる事になっていた。だが流石にその試合で学年を飛び越えて優勝する者が出ることはごく稀だ。 シャルは今年は何の部門に出ようか少し迷っていた。部門は二つまで自由に選んで参加できる。 個人部門を選ぶのは既に決まっているが、詠唱魔法部門にしようか、精霊魔法部門にしようか、それとも制限なしの部門にするかと頭を悩ませる。 やはり制限なしがいいか、とぶつぶつと考えながら歩いていると不意に後ろから声が掛かった。 「シャ、シャル!」 その声に足を止めて振り向くとそこにはシャルの四人の友人達が緊張の面持ちで立っていた。 シャルは何事かと少女達に向き直った。 彼女らはシャルが足を止めたのを見てパタパタとシャルに駆け寄ってくる。 シャルと彼女達とはあの誕生日祝いの一件以来まだギクシャクしている。 自分が怒りすぎた、と折れる手もあったが、シャルは素直にそうしたくなくてそのままにしてあった。 「どうしたの?」 なるべくいつも通りに聞こえるように声をかけると、少女たちはおずおずと更に近づいてシャルの前に立った。 「あの……」 「?」 訝しがるシャルの前で、お互いの顔を見合わせた四人はすぅと息を吸って、せーの、と小さな声をかけた。 『ごめん、シャル!』 次の瞬間、綺麗に声をハモらせて、少女達は一斉に頭を下げた。 「えっ!?」 シャルは突然の事にぎょっとして一歩足を引いた。 だが少女達は頭を下げたっきり上げようとしない。 近くを行く生徒達が何事かと彼女らに視線を向け、シャルは慌てて少女達に声をかけた。 「えっと、あの……分かったから、顔上げてよ。ね?」 困ったように頼むと四人は恐る恐る顔を上げ、次いで口々にシャルに謝った。 「シャル、ホントにごめん!」 「お祝いだったのに、あんな事言って、ごめんね……」 「あたし達、ほんとにあんなつもりじゃなくて」 「ごめんね、シャルぅ……」 シャルは次々と謝られてかえって慌ててしまう。 自分も少し態度がきつかったと思っていたのに、こんなに謝られてはさすがに立つ瀬がない。 シャルは両手をパタパタと振りながら、彼女らにもういいと必死で訴えた。 「もういいから、よしてよ皆! ほんとに、私だってあの時はちょっと怒りすぎたし……」 シャルの言葉に少女達はやっと謝るのをやめて少しほっとした顔を見せた。それからまたお互いの顔を見合わせ、たどたどしいながらも自分達の気持ちを懸命に語った。 「……私達、シャルが最近あんまり一緒にいないから、その、ちょっとつまんなかったの」 「風の森に自信がなくて行けなかったから、もしかしてそのせいでシャルに嫌われたかなってちょっと思ってたし……」 メイもニーナもしょんぼりとうなだれながらそういった。 子供っぽいちょっとしたヤキモチもあって、そのせいでシャルに嫌な思いをさせてしまった、と恥ずかしく思っているのだ。 「だからあんな噂、シャルに確かめずに鵜呑みにしちゃって」 「シャルが困ってるなら助けてあげなきゃ、とか勝手に思ってたの。友達を悪く言うつもりじゃなかったの」 「え?」 シャルはリゼットとトリスの語った言葉に疑問を覚え眉を寄せた。 「噂? 噂って何?」 「え、シャル知らないの?」 「あんなにあちこちで言われてるのに……って、シャルはそういうの嫌いだったね」 「そっか」 ただでさえシャルは他人の噂話などがあまり好きではない。 更に普段そういう話を聞かせる少女達がしばらく離れていたのだから、仕方ない事だろう。 少女達は頷き合うと、今魔法学部で流れている噂を恐る恐るシャルに語った。 「……何よそれ! 誰がそんなの流してるの!?」 当然ながらシャルはそれを聞いて声を荒げた。今にも火を吹きそうなその剣幕に四人の少女は怯え、思わず少し後ろに下がる。 「どこから流れてるのかはわかんないけど、前期の終わり頃からちらほらあったの……そういうの」 「でも、後期に入ってからも全然消えなかったから、私達も結構ホントなのかもって思っちゃって……」 「それで……私が無理してアーシャに付き合ってるんじゃないかって思ったのね?」 「うん、シャルに確かめもしないで……ごめんね」 シャルはふぅ、とため息を一つ吐くと首を横に振った。 「もういいわ。皆があの子の事ホントに悪く思ってた訳じゃないって分かったもの。教えてくれてありがとうね」 「ううん、こっちこそ……あの、もし良かったら今度シャルのお祝い、仕切りなおしさせて? その……あの子も一緒に」 その言葉を聞いてシャルは思わず笑顔を浮かべた。 アーシャも一緒に、という彼女達の心が嬉しかったのだ。 大人しいけど皆良い子だと思っていたのはやっぱり間違いじゃなかったとシャルは胸を撫で下ろした。 「もちろん! でもきっとびっくりするわよ。アーシャってとっても面白くて可愛いから」 シャルは笑って手を差し出し、彼女達に仲直りの握手を求めた。 少女達は代わる代わるその手を握り、そしてほっとしたように笑い合った。 「噂に関しては、私も調べてみるわ。そんな勝手な噂、流したままにさせられないしね!」 「うん、私達も気をつけて聞いておくね」 「じゃあまた後でね」 また後で寮で話をしようと約束して友人達は手を振って去って言った。 その背を見送ったシャルは踵を返すと途端に渋面を浮かべた。 「アーシャが足手まといですって? 全く……!」 シャルは怒りを覚えながら足早に学生課に向かい、その入り口をくぐった。 早く用紙を受け取ってジェイ達と少し話をしようと廊下を急ぐ。 シャルは窓口に駆け寄り、慌しく二枚の紙を受け取ると用は済んだとばかりに建物を出ようとした。 しかし、建物の出口に差し掛かった時、またも背後から声が掛かった。 「ねぇ、ちょっと」 シャルはその声を聞かなかったことにして足を速めた。 「ちょっと! ねぇ、聞こえませんの!? シャルフィーナさん!」 シャルはその声を聞いて嫌々立ち止まり、くるりと振り向いた。そこまではっきりと名指しで呼ばれては立ち止まらないのも感じが悪い。 しかし振り向いたその顔はいかにも嫌々と言う風だった。だが元よりそれを隠す気もないシャルはそのままの顔で声の主と向き合った。 「何ですの、その嫌そうなお顔……失敬ですわよ!」 「あんたの普段の言動から考えて、にこやかな笑顔を向けてもらえると思う方がどうかしてるんじゃない」 そう言われてコーネリアは思わず目を逸らした。どうやらさすがに心当たりがあったらしい。 コホン、とごまかすように咳払いをするとコーネリアはシャルが手にした用紙を指差した。 「その、今年の競技会、もちろん貴女も参加するんですわよね?」 「そりゃそうよ。あんただって出るんでしょ? また張り合ってくるつもり?」 「当たり前ですわ! 今年こそ勝つのは私です!」 いつもの調子のコーネリアに、シャルはうんざりとため息を吐くと手を振って踵を返そうとした。 「そう、楽しみにしてるわ、せいぜい頑張ってね」 「あっ、ちょっとお待ちなさい! そんな話じゃないのですわ!」 コーネリアは話が逸れた事にハッと気付いて、去ろうとするシャルを慌てて引き止めた。シャルも嫌々ながらまた足を止める。 「じゃあ何なのよ。早く言ってちょうだい。私忙しいの」 「その……私は、今回はペア部門に出るのです。貴女もそうなのでしょう?」 「は? ペア? 違うわよ。私が出るのなんて個人に決まってるじゃない」 「ええ? でも、貴女、あの小さくて失礼な子と一緒に大会に出るんでしょう?」 シャルは耳を疑った。一体どこからそんな話が出てきたのかさっぱりだ。 「小さい子って、アーシャの事よね? 何よそれ、どこからそんな話になったの?」 だがコーネリアはシャルの返答を聞き、形の良い額に手を当てて考え込んでしまった。そして小さく呟いた。 「そんな……でもじゃあどうしてカトゥラは……」 「カトゥラ? カトゥラって、あのカトゥラ・マグルール?」 カトゥラ・マグルールの名前はシャルももちろん知っている。彼女は学園の一部では有名だからだ。 男子の間では色っぽい美人として、女子の間では嫌な女として。 シャルと彼女は同じ魔法学部なので当然姿を見る事もある。だがクラスは違うし、好きになれそうにないタイプだから話したことはなかった。 「なんでそこでその名前が出てくるのよ?」 コーネリアは迷ったようだったが、顔を上げて口を開いた。 「……私、この間カトゥラに話しかけられて、その時言いましたの。 あの小さい子は精霊魔法の使い手だから挑んでみたいって。理由は……まぁ、悔しいですが貴女なら本当の所はお分かりでしょうけど。 そしたら、その少し後にカトゥラが競技会参加用紙を持ってきて、あの子が彼女と私のペアとなら勝負するって言うから一緒に組んで出ようって言ってきたんですわ」 シャルはその話に目を見開いた。 「私、てっきり貴女があの子と組むんだと思っていて、それなら望む所ですし、カトゥラは性格は好きではないけれど魔法の腕は確かだからと思って承諾しましたの。けれど、何だか彼女の話が不自然だったから、気になっていたのですわ」 不自然も何も、どこをどうしたらそんな話になるのかシャルには全く見当がつかない。 アーシャは普段は自分の魔法を人前で使うのをとても嫌がる。使ったとしても小さな魔法しか使わない。 だから実技のある科目は授業すら出来る限り避けているはずなのに、競技会に出るなんてありえない話だ。 競技会に出ればどうしたって小さな魔法では何ともならないはずなのだから。 「あんた、それカトゥラに騙されてるんじゃないの? カトゥラが大会に出たくて利用されただけ、とか」 「それは考えられなくもありませんけど、彼女は一年の時の大会は不参加で、今回も最初はそうすると言っていたはずなのですわ。顔に傷が付いたりしたら嫌だ、とかで」 「ああ、そう……」 シャルはその理由に思わず脱力を覚えた。如何にも彼女が言いそうな事だ。 けれど、それなら尚更カトゥラが大会に出るというのはおかしな話だった。 「わかったわ、アーシャに確かめてみる。教えてくれて助かったわ。あんたにしては気が利くじゃないの」 「べ、別に貴女のためじゃありませんことよ! 私は悔いのない試合をしたいだけですわ!」 コーネリアはビシ、とシャルを指差してある意味お約束なセリフを言ってのけた。 「はいはい、分かったわ。まぁ、私はとりあえず個人の制限なしは出るから、負けたかったらそっちにも参加するといいわよ」 「だから勝つのは私ですわ!!」 「そうだといいわねぇ。それじゃあね」 シャルはコーネリアにひらひらと手を振ると今度こそ学生課を後にした。 あの分ならコーネリアは今頃もう一枚参加用紙を取りに窓口へ走っているだろう。 シャルはどこに行ったら事の真偽を確かめられるのか歩きながら考えた。 アーシャの居所は今日はわからないが、ディーンとジェイは鍛錬室に寄って帰ると昼に言っていた。 二人を捕まえ、何か知らないか聞いてからアーシャの家を訪ねるのがいいかもしれない。 そう結論を出すとシャルは足を速めて武術学部へと方向を変えた。 シャルは蚊帳の外にされるのが嫌いだ。自分や仲間が少しでも関係ある話なら尚更のこと。 その苛立ちに任せて、帰り際の生徒で賑わう校内を厳しい表情を浮かべたまま猛然と走る。そんな彼女の様子を見た誰もが無言で道を譲った。 シャルは今、とても不機嫌だった。 十分後。 「まぁ、という訳だ」 「なーにが、という訳、よ! じゃああんた達噂を知ってたのに何もしなかったのね!?」 シャルの剣幕にジェイは首をすくめた。 ジェイとディーンの稽古中に押しかけてきたシャルは、自分達に関する噂について彼らを問いただし、二人がそれをずっと知っていた事に大変お怒りだった。 「そもそも、知ってたならどうして私に教えないのよ!」 「教えたら騒ぎ立てるだろう?」 ディーンはシャルの怒りに少しも動じず無表情のままため息を一つ吐いた。 「そりゃそうよ。そんな噂打ち消さないと腹立たしいじゃない」 「君が騒げば噂は奥に潜る。そうなれば元凶を追うのが難しくなる。元を断たなければまた密かに広がるだけだ」 正論で返され、う、とシャルは一瞬黙ったが、それでも納得はできなかった。 「でも、私が違うって言ったら消えるかもしれないじゃない!」 「そうしたらまた少し噂が変化するだけだろう。君は意地っ張りだから自分がお荷物を抱えて苦労していることを周囲に知られたくないんだ、とかな」 「うへぇ、ありそう。そしたらまたお節介な連中が増えるかもしんないよな」 確かにその可能性はあると思い至ってシャルは思い切り渋い顔をした。面白くない事この上ない。 「じゃあどうしたらいいのよ! アーシャが嫌な思いしてるかもしれないのに! 大体、元凶は分かったの!?」 シャルの言葉にディーンは一つ頷いた。 「さっき自分で名を上げたろう。コーネリアと組むという女、カトゥラ・マグルール。恐らくは噂の元は彼女だ」 「カトゥラってあれだろ、なんか色っぽくて怖そうな女……でも、なんでそこで彼女なんだ? 俺達に関係あるって言ったらコーネリアの方じゃねぇの?」 「……」 ジェイのもっともな疑問にディーンは沈黙で答えた。 何か言いたくない事があるらしいその様子に、シャルはピンとひらめいた。 「カトゥラって言ったら……ディーン、あんたに一年の時からずっと付き纏ってるって話だったわよね?」 「あー、そういえば確かに……他の男と付き合ってる話は絶えないのに、時々、季節ごとの風物詩みたいにお前のとこに現れるよな」 「……ああ」 「……って、じゃああんたが原因じゃないの!?」 ディーンは眉間に皺を寄せて、極めて不愉快そうに頷いた。 「非常に不本意ながらその可能性は否定できない。まぁ、それだけではないと思うが……」 「どういうことよ?」 「調べた所、彼女は水大陸の貴族出身で、上級学部から入学。魔力は高く水の詠唱魔法が得意。そして、これは噂だが……魔技師がとても嫌いらしい」 「魔技師が?」 「ああ、なんでも早くに亡くなった父親が魔技師だったとかなんとか。まぁ、それもあくまで噂ではあるが。 だが実際彼女は魔技科の人間と付き合ったことは一度もないし、魔技科を馬鹿にしているのも日常的な事らしい」 シャルは呆れたようにため息を吐いた。 「自分の親が魔技師だったから嫌いだなんて、どんな育ちか知らないけど何だか捻くれてるわね」 「まったくだぜ」 ディーンもジェイもそれには深く頷いた。 「更に言えば、彼女が男を選ぶ基準も気になった」 「基準? 顔とか金か?」 「いや……どうも、精霊の加護持ちばかりを選んで付き合っている、という話だ」 「何それ、じゃあ今までの全部?」 「まぁ、確かめられる範囲内では、そうだな」 武術学部で彼女と付き合った事のある人間は多くない。 割合から言えばやはり魔法科が一番多い。 それらの中でディーンが確かめる事の出来た人物は皆、強さに差はあれ精霊の加護を持っていた。 「それでディーンなのかな。お前が闇の加護持ちだって、知ってる奴は知ってるもんな。他大陸の奴は闇でも気にしないしな」 「むしろ水大陸出身なら闇大陸とは隣り合わせだから仲がいいはずよ。いっそあんたがあの女と付き合ったら、噂も収まるんじゃないの?」 シャルの言葉にディーンは面白く無さそうに首を振り、ため息を吐いた。 「こっちにも選ぶ権利がある。精霊の加護持ちという理由だけで好かれて嬉しいはずがない。それに、彼女は別に私が好きなわけじゃないだろう。自分に靡かないから腹立たしいだけだ」 「まぁそうだよな……俺もああいうのは苦手だなぁ」 「お前は大丈夫だろう。打算的な彼女は危険なものに手は出さない」 「……なんか引っかかる言い方ね」 「気のせいだ」 シャルの追求をさらりと交わすと、ディーンはそれよりも、と難しい顔で呟いた。 「気になるのはアルシェレイアだ。コーネリアの言ったことが事実なのかどうか、確かめた方がいいだろう」 「あっ、そうよ! アーシャが競技会に出るなんて、何かあったっていうようなものだわ。確かめなきゃ!」 「こないだは様子が変わらなかったからって、油断して悪い事したな……」 反省するジェイのその言葉に頷き返し、シャルは小さく唇を尖らせて、寂しそうな顔をした。 「……あの子ってば、何かあっても言わなそうだものね」 「言わないなら、聞きだすしかないだろうな……行こう」 そんな訳で、三人は夕暮れの学園都市の中を足早に歩きだした。 |
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