10.祝福の言葉

「えー、それでは、二人の誕生日を祝しまして、カンパーイ! 誕生日おめでとー!」
「おめでとう、二人とも」
「ありがとう!」
「あ、ありがとう……」

 カツン、と木のコップが打ち合わされ、中のジュースが揺れる。
 九月も半ばの爽やかな日、シャルの宣言通りに開催された二人の誕生日祝いの宴は賑やかに始まった。
 シャルの誕生日は八月の最後の日だったが、課題を終わらせて憂いなくやりたいという彼女の意見を取り入れ夏休みの終わりの打ち上げを兼ねてという形になっている。
 参加者はいつもの四人だけで、毎年のように彼女の友人達が沢山来ると言う事はなかったが、シャルはそれでもとても嬉しそうだった。

 外に据えられた大きなテーブルの上はディーンが作った様々な料理で溢れている。
 外用のテーブルとベンチを修理し(アーシャに手伝って貰ったが)、材料の買出しや飾りつけに奔走したのはジェイだった。
 アーシャも手伝おうとしたのだが、主賓は何もしちゃ駄目、とシャルに強く止められてここ数日少女は落ち着かない時間を過ごした。
 それでもこうして乾杯をし、料理を食べ始めると何となく気分も高揚してくる。

「ほら、アーシャ、まずは食べるのよ!」

 シャルは楽しそうにアーシャの皿に次々と料理を盛ってくれた。

「お、多いよぅ」
「だーめ、大きくなるんでしょ!」

 その言葉にアーシャはハッとし、フォークを握りなおして懸命に料理に挑みかかる。
 それを見てジェイが大きな声で笑い、ディーンまでもが珍しく声を上げて笑った。

「ディーン、料理すごく美味しいよ、ありがとう」
「どういたしまして。腕を振るったかいがあるから沢山食べてくれ」

 アーシャは頷いて料理を口に運んだ。
 いつもよりもさらに手の込んだ料理はどれもとても美味しい。

「ほんとに、悔しいけど美味しいわよね。今年はディーンの料理が食べられて幸運だったわ」
「いつもは違うの?」
「ディーンが誰かの祝いに出るなんて事がそもそもないのよ。
 私が呼んでも来ないし、ジェイのお祝いにだって始めに顔を出すくらいだし、祝ってやるって言っても嫌がるし。明日は大雪よ、きっと」

 ディーンはその言葉に軽く肩をすくめて応えた。

「こうして共同生活をしているのに断るような事はしない。
 そもそもシャル、君が開くパーティは男には難易度が高い事を自覚した方が良い」
「……確かに」

 ジェイは呟いて強く頷いた。
 毎年、女子寮の一室や街中の可愛らしい喫茶店の一角で行われる彼女の誕生日パーティはジェイもとても行き辛い。
 女子寮となれば入寮許可を取ったりと色々大変だし尚更だ。
 しかも招待客のほとんどが当然女子ばかりなのだ。
 思い切り肩身の狭い思いをするのは分かっているが、行かなければ後が恐ろしい。
 新学期が始まる頃に催されるそれはジェイにとっては一年に一回の、ある意味試練の日だった。
 毎回何度もディーンを誘うのだが彼は祝いの言葉をジェイに託すだけで、連れ出せた事は一度もなかった。

「あら、可愛い女の子に囲まれてるんだから少しは喜べばいいのに」
「喜んだら喜んだで、鼻の下伸ばしてサイテーとか、勘違いしてんじゃないわよとか言うのはどこのどいつだ」
「あら、誰がそんなこと言ったのかしら?」

 シャルはしれっととぼけ、アーシャはそのやりとりにくすくす笑う。

「ジェイの誕生日はどんななの?」
「あー、俺のは五月の初めだけど、逆に野郎ばっかだな。同じクラスのが多いからさ」
「馬鹿の集まりだからアーシャは行かない方が良いわよ。ジェイと同じクラスの馬鹿ばっかりが集まって獣みたいに料理をがっついて、一段落したら変な余興をやるの。季節先取り水泳勝負だとか、片手腕立て伏せ勝負とか、学部一周鬼ごっこだとか」
「シャルやディーンも参加するの?」
「まさか! ディーンなんてそれが嫌だからすぐ姿を消すのよ」
 ディーンは黙って頷いた。

「ちなみにシャルはその余興を傍観して、いつも最後にはぶっ潰してうやむやにして俺を勝たせてくれて終わるんだぜ」
 ジェイはそれを思い出したのかげらげらと楽しそうに笑いながら言った。
 シャルはツンと澄ました顔で当たり前だというように頷いた。

「誕生日なんだから主賓に花を持たせるのが当然でしょ」
 シャルは毎年それと同じ事を言いながら、プールの水をお湯にして泳いでいる連中を追い出したり、腕立て伏せをしている人間の上を踏みつけて歩いたり、走って逃げる連中を地の魔法で捕縛して一網打尽にしたりするのでジェイの友人達から悪魔のように恐れられ、ついでにちょっと待ち望まれている。
 彼女の存在は恐ろしいが刺激的で、何となく病みつきになるらしい。

「でも来年はアーシャが来てくれたら私が女子一人にならなくて良いから嬉しいかもしれないわね。そしたら二人で馬鹿共にお灸を据えましょうね」
「……あまり変な事を教えるな」

 ディーンが静かに抗議したがそれはシャルに黙殺された。
 アーシャは武術学部に一度も足を踏み入れた事がないのでその雰囲気も良くわからない。
 でも何となく楽しそうだと言う事だけは分かったから素直に頷いた。


 やがて料理をひとしきり食べ終えるとディーンはデザートを持ってきてくれた。
 森で集めた木の実を混ぜて焼いたナッツのケーキにクリームと木苺を飾った可愛らしいお菓子だ。
 見かけによらず甘い物好きで凝り性な彼は当然お菓子まで上手に作る。
 アーシャもこの休暇の間に料理と一緒にお菓子も幾つか教えてもらったがまだ簡単な物しか作れない。
 少女が尊敬の目でケーキを眺めていると、ディーンはそれをテーブルに置いて席に着いた。

「アーシャ」

 不意にシャルが少女を呼んだ。

「うん?」
「ハイ、これ。私からアーシャへの贈り物」

 そう言ってシャルは四角い包みを彼女に差し出した。

「食事の最後に、贈り物を渡すのが普通なの。だからはい、受け取って?」
「え、えっと……ありがとう」

 アーシャは友人からの初めての贈り物をおずおずと受け取ってお礼を言った。

「じゃあ俺達からはこれ。二人で用意したから連名だな」

 そう言ってジェイとディーンはテーブルの下に用意してあったらしい小さな包みをアーシャに渡した。
 ディーンはもう一つ、別の小さな包みをシャルにも渡す。

「あの、ありがとう二人とも」
「ありがとうディーン。あんたから贈り物を貰うなんてやっぱり明日は雪ね」

 シャルは笑いながらその包みをそっと開けた。
 中からは小さな金の耳飾が出てきた。
 ジェイからの贈り物の腕輪とお揃いの薄桃色の石が嵌っている。

「あら、素敵! やっぱりジェイと違って趣味も良いわねぇ」
「ほっとけ!」
「一緒にされては困る」

 ひでぇ、とぶつぶつ言うジェイをくすくす笑いながらシャルはアーシャに贈り物を開けるように促した。
 皆に勧められてアーシャはシャルのものから順番に包みを開ける。

「わぁ……」

 シャルの贈り物は可愛らしいワンピースだった。
 薄い生成りの地の裾に、緑の濃淡で草花が描かれている生地はアーシャの雰囲気に良く似合っている。

「レイアルで買った水の大陸の織物で作ってもらったの。服飾科の知り合いが居残りしててくれて良かったわ。ちょっと大きめにしてあるけど、脇についてるリボンを後ろで結んで調節してね」

 アーシャは嬉しそうにそれを広げて眺めるとシャルに何度もお礼を言った。
 次にジェイとディーンから貰った小さな包みを開けると、中からは箱が一つ出てきた。
 アーシャはそっとその箱のふたを持ち上げ、そして動きを止めた。

「……これ」

 中から出てきたのは、アーシャがレイアルで見た、あの金のヤドリギと草入り水晶のチョーカーだった。

「レイアルの店で随分気にしていたようだったから、帰り際に買って置いた。君は自分で作ると言うと思ったが、作れるようになるまで一つくらい持っていても悪い事はない」
「……でも、これ、安くなかったのに」
「だから二人で連名だって言ったろ? それは俺達二人から。それなら大した金額じゃないさ」

 きっとアーシャが値段を気にするだろうと思ってそうしたのだと言う事を二人は告げなかった。
 アーシャはそっとそれを手に取ると恐る恐る持ち上げた。

「アーシャ、貸してみて?」

 シャルはそれを受け取るとさっとアーシャの首に掛けて金具をカチリと留める。
 紐の短いチョーカーは少女の細い首にぴったりだった。

「うん、素敵。すごくよく似合うわ!」
「そうかな……似合うかはわかんないけど、ありがとう二人とも。すごく、嬉しい」
「どういたしまして」
「良いって!」

 照れくさそうな笑顔を見せる少女に二人も笑顔を返す。
 アーシャはもう一度首にかかったそれを見下ろした。
 蔦を編みこんだ柔らかな帯が心地いい。石や細工に手を伸ばしかけたが、指紋が付くのが勿体無い気がしてそっと手を引っ込めた。
  アーシャはしばらく胸元を眺めていたが、ハッと大事な事を思い出した。

「あ、私からの贈り物! あるの!」

 そう言って少女は慌ててごそごそとテーブルの下から大きな布袋を取り出した。
 シャルに贈る物が入っているにしては随分袋が大きい。

「あの、包装とかしてなくてごめん……そのままなんだ」

 そう言って取り出されたのは臙脂色の洒落た肩掛け鞄だった。アーシャはそれをシャルに差し出した。

「はい、これ私からのプレゼント」
「わぁ、ありがとう! あら、これって……もしかして?」
「うん、私のと同じような、いっぱい物が入る鞄だよ。遅くなっちゃったけど」
「ありがとう! すごく嬉しいわ!」

 シャルは歓声を上げてそれを早速肩に掛けた。

「後これもシャルに」

 シャルが鞄の中を開けたり外に沢山付いたポケットなどを確かめていると、アーシャはもう一つ両手に丁度乗るくらいの箱を差し出した。
 表面には赤い石が一つ嵌り、その周りに素朴ながら愛らしい草花の模様が彫り込まれている。

「小物入れ?」
「うん。んとね、シャルが沢山身に着けてる護符の類はたまに休ませて上げないと早く傷むでしょ。これに入れて置くと、回復が早くて長持ちするの」

 箱のふたを開けると、中は護符を入れやすいような大きさにいくつかに区切られ、柔らかい布張りがされていた。

「それすっごく助かるわ! でもいいの、二つも?」

 悪がるシャルにアーシャは首を横に振り、ディーンとジェイに顔を向けた。

「鞄ね、ディーンとジェイの分も作ったの。だからその鞄はどのみち誕生日とは関係ない贈り物だから」

 そういうとアーシャは薄い布袋から黒と茶色の色違いの革のカバンを出して二人に渡した。黒はディーン、茶色はジェイの物だ。

「え、俺達も?」

 アーシャはこくりと頷いた。

「ほんとは皆にもっと早く作ってあげたかったんだけど材料が足りなくってずっと作りかけだったの。レイアルで必要な物を色々買えたからやっと完成したんだ」
「それでレイアルに行きたかったのか」

 うん、とアーシャは頷いた。
 ストックしてある材料が切れたので学園にある材料店を覗いたら、試験の前後や休暇前は品薄になるらしく必要なものが買えなかったのだ。
 だからアーシャは遠出を決めたのだが、レイアルでは学園よりもずっと安く良い物が買えたので三人の鞄は満足いく出来に仕上がっていた。

「私のとデザインが違うのね?」
「うん、二人は動く事が多いだろうから、荷物が邪魔にならないように丈夫で背中に張り付くような感じのを選んだの」

 二人がそれぞれ背負ってみると、なるほど確かにそれは背中にぴったりと張り付く感覚だった。
 ある程度の厚みと長さのある長方体の上開きのカバンはその分幅に拘ってあるらしく、体から横にはみ出さないので腕を大きく振っても違和感がない。
 背負うためのベルトには腰と胸の前で留める補助用のベルトも付いており、激しく動いても背負っていられる仕様になっているらしかった。

「うっわ、これ助かるなぁ! ありがとな、アーシャ!」
「本当に何より助かる。ありがとう」
「どういたしまして」

 アーシャは笑顔で二人に応えた。
 三人のカバンを作るのは少女にとっても楽しい作業だった。
 仲間達一人一人に合わせてその体や動きに相応しい物になるように心を配って丁寧に作った。
 誰かの為に作った物を、その人に喜んで使ってもらえるのはとても嬉しかった。



「よし、じゃあ贈り物も渡した所で、もう一度乾杯しましょ」

 贈り物を皆が一通り確認した所で、シャルはそう告げると全員のコップにジュースを注ぎ足した。
 アーシャがその言葉に不思議そうに首を傾げた。

「もう一度?」
「そう、最後に一番大事な乾杯をするのが風習なのよ」
「アーシャは知らないだろうから、アーシャからだな」

 そういうと三人はそれぞれ自分のカップを持って高く掲げる。
 ディーンがアーシャに同じ事をするように促した。

「アルシェレイア、カップを前に」
「え、うん」

 アーシャがカップを同じように掲げると、シャルが頷いた。

「じゃあ私がアーシャの隣に座ってるから、私からね」

 シャルはそういうとアーシャのカップに自分のカップをカツン、とぶつけた。
 中のジュースがぱちゃん、と小さな音を立てる。

「アーシャ、あなたが生まれ、今日ここに居る事に感謝を」

 次いでシャルの前に座っていたジェイが手を伸ばした。

「一年を健やかに過ごし、時を重ねた事に祝福を」

 カツン、とまたカップがぶつかる。
 最後にディーンが手を伸ばした。

「君の新しい一年が良き日々となるよう、祈りを」

 もう一度カップがぶつかる音が響き、シャルがアーシャを促した。

「さ、アーシャ、飲んで」
「う、うん」

 アーシャはカップに口を付けた。
 こく、と喉を通るジュースは、さっきまでと同じものなのに不思議と味までが違う気がしてくる。
 二口、三口と飲んでからアーシャは顔を上げた。

「あの……ありがとう」
 三人はその言葉ににこやかに笑った。

「じゃあ今度は私。ジェイから時計回りね」
「おう」
 今度はシャルのための乾杯がぐるりと一回りする。
 アーシャも見よう見まねでたどたどしくはあったが、シャルの新しい一年のために祈りを贈った。

「ふふ、ありがと!」
 シャルも嬉しそうにカップの中身を飲み干した。

「……なんか、いいね。こういうの」
「でしょう?」
「じゃあ次はディーンのしようぜ。冬だけどさ」
 だがジェイのその提案にディーンは途端に嫌そうな顔を浮かべた。
「ディーンは冬生まれ?」
「そ。どう考えても夏って顔じゃないだろ」
「まぁ見たまんまよね。ね、アーシャもまたこういうお祝いしたいわよねぇ?」
 シャルがにっこりと笑顔で問いかけるとアーシャは素直に頷きディーンを見た。

「……」
 三人の視線が黙り込んだディーンへと向かう。
 視線を受けたディーンはしばらく黙っていたが、やがて耐え切れなくなったのか深いため息と共に手を上げて降参の意を示した。

「……出席者がこのメンバーだけだというなら」
「おおお、やった! じゃあ決まりな!」
「男に二言はないんだからね!」

 ディーンは基礎学部の三年の時にたった一回だけ彼の誕生日祝いを催してくれた友人達に素直に付き合ったが、それっきり毎年の誘いを全て頑なに断ってきている。
 ジェイと仲間達が騒ぎすぎ、最後には全員が教師に怒られたと言う微妙な思い出があるせいだと言われているが、その彼が祝いを受け入れるなんて実に数年ぶりの快挙だ。

「わかったわかった」
 少々げんなりとしながらもディーンは頷いて立ち上がった。
 お預けになっていたケーキを器用に切り分け配ってくれるのを皆が受け取る。
 甘いものが苦手なジェイはごく薄い一切れを受け取って、後は三等分されていた。
 美味しい料理を食べ、笑顔を交わして楽しい時間は賑やかに過ぎていった。





 夜、アーシャは一人で外に出ていた。
 夜の森は彼女にとっては優しい揺り籠で、恐ろしい場所ではない。
 今夜は月も明るく、大きな木の天辺近くに登るとそれらがさらに近くなる。
 月明かりに照らされた夜の森はいつ見てもどこか神秘的だった。
 風に乗って小さな虫達が懸命に歌う秋の歌が聞こえる。
 アーシャは座った膝の上に今日三人から貰った贈り物を乗せていた。
 大事そうにそっと手で触れる。
 そして、空を仰いだ。

「……じいちゃん、あのね。今日……生まれた事、祝ってもらったんだ」
 アーシャは今日初めて体験した出来事を空に向かって報告した。

「なんかちょっと……変な気分」
 育ての親が少女の誕生日を祝ってくれた事がなかったのは、単に彼にはそういう習慣がなかっただけだろう。
 アーシャはそれをよく知っていたから別に不満には思っていない。
 けれどこうして初めて祝ってもらって、それは少し照れくさく、とても嬉しい出来事だということを知った。

「贈り物、貰ったんだよ」
 思えば育ての親以外から、何か貰ったのは初めてのような気がする。グリフォンから貰った石もある意味贈り物だが、それとは少し違う。

 自分がこの世に生まれ、ここに居る事を祝ってもらえた。
 それは、何故か胸が痛くなるくらいに嬉しい。

「私……もう少し、ここに居てもいいんだね」
 育ての親からの初めての贈り物はこの名前だった。
 彼は名前を贈る事でアーシャに存在の証をくれた。
 ここに居て良いと言ってくれた。
 そして今日、それを仲間達からも貰った気がした。

「初めて、じいちゃん以外とこんなに長く一緒に過ごしたよ」
 彼からの返事は届かない。それでも、アーシャは静かに語りかけた。

「休暇、楽しかったんだ……」
 森で一人で過ごした去年までの夏と、比べ物にならないくらい色鮮やかな毎日だった。
 一人で居た日々が随分遠く思え、どうやって毎日を過ごしていたのか思い出すのも難しい。

「すごく、すごく楽しかった」
 夏が終わらなければ良い、と思ったのも初めてだった。
 でもきっと、新学期も楽しいだろうと思える。

「少しは、子供らしくなれたかな」
 今の自分を彼が見たら、喜んでくれただろうかと考えた。
 きっと、皺だらけの顔をもっとくしゃくしゃにして笑ってくれたことだろう。
 歳を取った木のような優しい手で頭を撫でてくれた事だろう。

「……会わせたかったな」
 アーシャは呟いて目を瞑った。

 頬を撫でる風はひんやりと涼しく、直に夏が終わることを少女にそっと伝える。
 もうすぐ夏が終わって秋が来る。
 もう何日かしたらここを引き払って学園に帰り新学期の準備をしないといけないだろう。

 長いような短いような夏の休暇は終わり、また授業が始まる。
 そろそろ帰省していた生徒達もぽつぽつと戻ってくる頃だ。

「今度は、どんな事があるかな」
 アーシャはそう呟いて笑った。
 夏が終わる。けれど寂しくはなかった。
 やがて来る新しい日々を思いながらアーシャはいつまでも月を眺めていた。
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