6:招かれざる客

そして更に次の日。

 昨日あの後、結局昼休みに話しこみ、次の授業をサボった面々はそのまま無事に班と課題の登録を済ませて解散した。
 だがしかし、本日は再び魔法学部校舎へ集合している。
 魔法学部のタウロー教授に呼び出されたのだ。
 タウロー教授は魔法学部三年生の学年主任で、野外実習総合責任者でもある。そうなると呼び出された理由は当然一つしかない。
「……本気なのかね?」
「はい!」
 シャルの元気のいい返事に、はぁ、とため息を吐きながら白髪の教授は人の良さそうな顔を困ったように軽くしかめて、今年の三学年のチーム・無謀のメンバーを順番に見つめた。
「イージェイ君とアルロード君は、まぁメンバーとしては無理はないだろう。二人とも昨年度の武闘大会の剣術部門、拳闘部門それぞれ上位入賞者だ」
 教授の言葉にアーシャは少し驚き、隣の背の高い少年をちらりと見る。
 だが無表情な少年は教授の言葉に何の感銘も受けなかったようだ。
「だが、グラウル君は……いかんせん年が若いし、能力も未知数だ」
 確かに、他の三人より三歳も年下なのはどうにもできない。
 加えて、普段から寝てばかりいて検定も受けていないのであればその能力の把握も難しい。
 実は弱いかもしれない生徒を危険な課題に送り出すわけには行かないのだ。

「それに……ブランディア君。恐らく、君はこの課題には向いていないよ?」
 シャルは教授のセリフに血相を変えた。
「どうしてですか教授! 私なら心配いりません!」
 だが教授はゆるゆると首を振った。
「時々、君のように一つの才能に特に秀でた子供が現れる。
 確かに君は優秀だが、何事も相性と言うものがある。どう考えても風の森は君には不利だ。君は、火に愛されすぎている」
「それでも! 他の魔法が全く使えないわけではありませんわ! きっとやり遂げて見せます!」
 シャルの決意は固い。何しろ自分の将来が懸かっているのだ。
「しかしねぇ……」
 本音を言えば教授も、学生の向上心は応援してやりたい。
 彼女の事情も多少とはいえ知らない訳でもない。
 けれどそれでも彼女を風の森へ送り出すことはそう簡単に肯定できるものではなかった。
「万一の事があったらどうするのだね? 命の危険にでもさらされ、魔力を暴走させでもしたらただの課題の失敗というだけでは済まないのだよ」
 一歩間違えてシャルが炎を暴走させたりすることがあれば、風に煽られた炎は瞬く間に森を飲み込むだろう。
 そうなれば中にいる生徒達の命も、貴重な動植物も、全てが失われてしまう。
「それは……」
「教授、そのために俺達が居るんですよ? 必ず守って見せるし、暴走させたりしませんよ。シャルを宥められるのなんて、この学校で俺くらいだし」
 ジェイはシャルの言葉をさえぎるとそう言って笑って見せた。
 シャルは一瞬驚いたようにジェイを見て、そして笑って頷く。
「ジェイに守られるなんて癪にさわりますけど、その為のパーティですもの、我慢しますわ」
 よく喧嘩をしているところを目撃される事から、仲が悪いと思われがちの二人だが実際はその逆だ。
 二人はお互い親に構われなかった子供同士、それぞれの祖母に連れられて小さな頃から良く一緒に遊んでいた。
 幼馴染故の気安さで言いたいことを言い合っているだけで、実際はただのじゃれ合いのようなものなのだ。だからこうして二人が一度結託すると、それを覆すのは容易ではない。
 基礎学部の頃から二人がタッグを組んで周りを巻き込みやらかしてきた様々な悪戯や功績は今でも教授達の間の語り草になっている。
 教授はため息をまた一つ吐くと、ターゲットを変えるべく視線をアーシャへと移した。

「君はどうなのだね?グラウル君。風の森の課題は危険なのだよ?」
 細い姿はいかにも頼りなく、とても長い山歩きに耐えられるようには見えなかった。
「別に大丈夫。深い森で育ったから慣れてるし」
「しかし、君は魔技科だろう?魔技科では実戦的な科目は多くない。まして君は……」
 ほとんど寝ていると聞く、と言いたかったのだろう。
 教授は曖昧に語尾を濁し、困った顔をする。
「身を守ったりする力があるとしても、君は検定も受けていないし判断のしようがないのだよ」
「森は人の領域では無い所。そこで生きていけるかを、人の作った仕組みで判断しようなんて無意味だよ」
 アーシャの答えに、教授は目を見開いた。確かに、彼女の言う事には一理ある。
 教授相手でも全く気を使っていない飾り気の無い言葉遣いだが、それ故に彼女の言葉はまっすぐだった。
「なら、君は……生きていけると?」
 こくり、とアーシャは頷いた。
「私は森を忘れてないもの。森は私に牙を剥かない」
 そう言って少女は薄く笑みを浮かべた。森の色の瞳が際立って見える。
 その瞳には迷いも恐れもない。
 ただ教授はその中にほんの少し、望郷に近いものを見たような気がした。
 ふぅ、と本日何回目かのため息を吐くと、教授は目の前の申請書類を手に取った。昨日目の前の四人が学生課に提出したものだ。
 机の上からペンを取ると、サラサラとそれにサインをし、シャルに差し出す。
「仕方ない。許可しよう。だが、危険を十分に考慮して慎重に課題に当たるように。日程ももう少し多めに組みなさい。森と言っても山に近い深い森だ。山歩きは厳しいからね」
『はい!』
 重なった声はどこまでも元気だった。



 夕方、四人は学生寮の共同食堂に集まって食事をしていた。
 四人の決めた出発日は三日後だ。
 それまでに様々な準備をしなくてはならないので、そのための相談に集まったのだ。
 だが、アーシャは目の前の料理に手をつけず、きょろきょろと周囲に視線を走らせていた。
「さっきからきょろきょろしてるけど、食堂が珍しいの?」
「うん、初めて来たよ。私寮に入ってないから」
 そういうとアーシャはフォークで魚をつん、と突付く。
「これ、なんて魚?」
 彼女の目の前にあるのは「本日のおすすめ魚セットA」というメニューだ。
 何があるのか良くわからなかったので適当に魚料理を、と頼んだらこれが出てきた。
 ふっくらとした紡錘形の大きな魚は切れ込みを入れて香草と共にこんがりと焼かれ、何か柑橘系の香りのソースが上にかけられている。
 アーシャには見慣れない形の魚だった。
「マーレだ。海で取れる。淡白な白身が酸味のあるソースと相性が良い」
 ディーンの答えに、海、とアーシャは呟くと不思議そうに魚を眺めた。
「ここは海から遠いが、大陸の西の端にあるフィリネス王国と友好関係にある」
「そうよ、そしてそこにも学園があって、学園同士は転送用の大規模な魔方陣で繋がっているの」
「それを使ったお互いの特産物の交換が月に何回か行われてるんだ。
 で、その海の国の特産物は寮内のこの共通食堂と、学部の中心にある中央棟のメイン食堂でだけ出されるんだぜ。行った事ないか?」
「一度だけ行ってみたけど皆殺気だってて怖かったから帰ってきた」
「ははは、まぁあそこはなぁ……学園内で人が一番集まる場所だもんな。でもフィリネスの魚は混んでても食いに行く価値はあるぜ。食ってみろよ」

 さすがに長くこの学園で学ぶ三人はこういったことには詳しい。
 アーシャはへぇ、と心から感心した声をあげ、ジェイに促されるまま魚を切り分けると恐る恐る口に運んだ。
「む」
 どうやら海の魚はお気に召したらしい。
 アーシャは無言で魚を切り分けるとパクパクと勢い良く食べ始めた。
 他の三人はその姿をなんとなく微笑ましい気持ちで眺める。
 自分達よりも年下の人間と行動を共にするのが珍しいのだ。
 学園では一学年の人数の多さも手伝って、学年を超えての交流はあまり活発ではない。同じ学年でも知らない人間が山ほどいるのだ。
(悪くないわね、こういうのも)
 シャルは隣の少女を時々ちらりと見ながら、和んだ気分で考えた。
 愛想も掴み所もほとんどない、会ったばかりの変わった少女だが不思議と三人の中に悪い印象は無かった。
 ビクビクと人を遠巻きにする連中や、おどおどと媚を売る人間よりもずっといい。
 特に同じ学年の大抵の少女は、シャルを見ると怯えるか愛想笑いを浮かべ、ジェイやディーンを見ると頬を染め、媚びた笑顔で甘い声を出す。
 その反応のどれ一つとして返さなかった少女は、(ただ単にまだ幼いのかもしれないが)それだけでも好感が持てる気がした。
 シャルにはほとんど会った事もない姉と弟がいるだけだ。
 ジェイは末っ子で、ディーンは血の繋がった兄弟はいない。
(妹が居たらこんな感じかしら?)
 珍しく、らしくもない優しく穏やかな気持ちをシャルは覚えていた。

「あら? シャルフィーナさんではありませんの?」
 だがその穏やかな気持ちは、背後からの声を聞いた瞬間にぶち壊されてしまった。
 見たくもない顔を視界に入れまいとシャルは振り向かない事に決めた。せっかくの穏やかな夕食が台無しだ。
 しかし声の主はシャルが振り向かない事に腹を立てたのか二、三歩近寄りそしてシャルと向かい合わせている人影を目に留めた。
「まぁっ、ジャスティン様にディラック様!」
 どこから声を出しているのか不思議な高音の声に惹かれて料理から顔を上げたアーシャが見たものは、派手な金髪をこれでもかというくらい仰々しい巻き毛に仕立て上げた女子学生だった。
「……」
 すごい頭だ。とにかくまず髪の毛の量が不自然に多い。
 高い位置で後ろにまとめた髪はいく房かに分けられてカールを施され、いわゆる縦巻きロールというものを作り出している。
 それでもなお背中まで届く髪は巻きを取ったらどのくらいの長さなのかとアーシャは観察しながら真剣に考えた。
 少女が頭の中で髪の毛の長さと量を計算し始めていた頃、シャルと縦巻きロール嬢の間には冷えた空気が流れていた。
「聞きましたわ、ジャスティン様、ディラック様! 風の森にいらっしゃるんですって!? 彼女の口車に乗るなんて危険極まりないですわ!」
 そう言って縦巻きロール嬢はしなを作って男二人に訴えかける。
 いつもの事に二人は黙って苦笑するしかない。下手な返事をすると後でシャルからしつこく怒られるのだ。
 女同士の戦いでは男は何時だって無力な生き物だ。
「うるさいわよ、コーネリア。食事中なの、甲高い声が耳障りだからあっち行ってくれない?」
 コーネリア、と呼ばれた少女は縦巻きをゆらん、と揺らして勝ち誇ったようにシャルに向き直った。
「あーら、怖い。課題に必要な人数が足りないからってイライラなさってるんじゃありません?」
 どうやら彼女はシャルが必死でメンバーを集めようとして上手く行っていない事をかぎつけてわざわざ来たらしい。
 暇な事だ、とシャルは内心鼻で笑う。

 コーネリアとシャルとはクラスは違うが同じ学部で同じ科だ。
 だがコーネリアは基礎学部から共に同じ事を学んでいるのいうのに成績ではいつもシャルに一歩及ばない。
 彼女はそれが悔しくてならないらしく、一方的にシャルをライバル視してことあるごとに突っかかってくる。
 シャルに言わせれば、自分の努力や才能の無さを他人のせいにするなんて頭が悪いんじゃないの、ということになるのだが。
「貴方が無理をして落第なさるのは全然構いませんけど、ジャスティン様達を巻き込まないで頂きたいわ! お二人は貴方と違って優秀なのですから!」
 そう言い放つとコーネリアは取っておきの憂い顔を浮かべ、二人が心配でならない、とアピールする事を忘れない。
 家柄も見た目も成績も良い少年二人は学年問わず女生徒から密かな人気がある。
 だが賢明な二人はいつも男子寮と自分の学部でほとんどの時間を過ごし、女子の割合の高い学部には滅多に近寄らない。
 加えて、共通食堂などを利用する時は必ずと言っていいほどシャルが一緒だ。
 勿論二人とも意図的にシャルを防波堤代わりにしているのだが。
 怒らせたら火を吐く、などと噂さされ密かに「火吹き猫」と恐れられている学年トップの彼女を押しのける者は未だ出てきていない。
 上の学年の人間にさえ、尊敬に値しないなら容赦ないシャルの存在は極めて優秀な防波堤だった。
 そんな中でコーネリアは今の所唯一の勇敢なる挑戦者だ。
「ふん、じゃあ貴方とも違うようね。万年二位のコーネリアさん?」
 シャルは鼻で笑うと気にもしてない様子でオレンジジュースを飲み干した。
「くっ……!せ、せいぜいそうやって驕っていればよろしいですわ! 次に勝つのは私です! メンバーも見つけられない人望のない貴女になんて負けません事よ!?」
「お生憎様。もうメンバーは見つけてあるわ。どうやら情報に疎いのはその髪型だけじゃないらしいわね」
「なんですって!?」

 カッと声を張上げたコーネリアは、はたと止まった。
 ようやく彼らの人数がいつもより多いことに気がついたらしい。
 シャルの向こう側の席から自分の方をじっと見つめている小さな人影に初めて目を移す。
「……まさかと思いますけど、そこの子供が四人目だとでもおっしゃいますの?」
「そうよ。彼女は飛び級してるからこう見えてもちゃんと私達と同じ学年よ?」
 固まっているアーシャをじっと見返し、コーネリアは記憶を探った。この四人と組むと言うからには魔法学部のはずだが彼女の記憶では魔法科にこんな少女はいない。
 全てを覚えているわけではないが、飛び級しているほどの人間なら少しくらいは記憶にあるはずだ。
「貴女……魔法学部よね? 何科でいらっしゃるの?」
「……魔技科」
 ぼんやりとしながらも条件反射のようにアーシャはごく小さく答えた。
 だがその声はコーネリアにしっかりと届いたらしい。
 ぷっ、と噴出すとコーネリアはくすくすと上品に笑い出した。
「魔技科! 思い出しましたわ! 魔技科で飛び級したって言えばここ数年では一人だけのはず。
 貴女、いくらメンバーが見つからないからってよりにもよって魔技科の眠り姫なんかを仲間にしましたのね!」
「……それが何か?」
 シャルはアーシャが答えるのを咄嗟に止められなかった事を内心で苦々しく思っていたが努めて冷静に返事をした。
「何かもなにも! お得意の火の魔法が使えない貴女が、魔技科の人間と何の役に立てますの? ああ、巻き込まれるお二人が可哀想だわ!」
 礼儀正しい(と自分では思っている)コーネリアは魔技科の役立たず、とは言わなかったが言外にそれを滲ませながらさも楽しそうに笑った。
 どうやら三人が思っていた以上にアーシャの授業態度は有名だったらしい。
「お二人とも、風の森の課題は私も挑戦する予定ですの。よろしければ私の班に入りませんこと?」
「何それ!? あんたも行く気なの!?」
「あら、私が挑戦しちゃ悪い理由でもありまして? まぁ、私は貴女ほど無謀ではありませんので、友人達に呼びかけて六人ほどで挑戦するつもりですけど。友人達も快く賛同してくれましたわよ?」
 ほほほ、と愉快そうにコーネリアは笑い、沈黙を守る男二人に更に声をかけた。
「いや、もう班登録終わってるし……」
「……同じく」
 懸命な二人はそれに答えるような事はしなかったが。
「残念ですわ……どうか仲間に足を引っ張られても、決して無理をなさらないでくださいね?」

 シャルはギリ、と奥歯を食いしばった。
 どうせ金や地位で取り巻きを釣ったに違いないのだ。だがそんな事を追求してももう仕方ない。
 このいけ好かない女の顔を旅先でも見る事になるのは間違いなさそうだ。
 だがこのまま言われっぱなしでいる訳には断じていかない。
 何と返してやろうかとシャルが頭の中で豊富な嫌味のストックを漁り始めた時、隣から声が上がった。
「ねぇ、聞いてもいい?」
「あら、よろしくてよ? 何ですの?」
 コーネリアはてっきり華やかな自分の登場に萎縮しているのだと思っていた少女が喋りかけてきたことに少し驚いたが、鷹揚に微笑み返した。
 華やかな微笑が年長者の余裕を感じさせる。
 アーシャの無邪気な声が女の戦いをシン、と見守っていた食堂に響いた。

「それ、カツラ?」

 ピシ、と空気の凍った音を聞いた、とその時周囲にいた人間は後にそう証言した。

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