19:少年の決意(前)

 ジェイは木の根を避けて走りながらこの後の事を考えていた。
 ディーンはシャルの所へ走れ、とは言わなかった。
 ということはあの棒の女を何とかしてから行けという事だ。
 確かコーネリアのチームは六人。
 このままシャルのところへ駆け戻れば分かれているあいつらを合流させてしまう。
(やっぱ六対三は分が悪いよな……)

 しかもシャルは今まともに戦えるか怪しい状況だ。ディーンもそれを考えた上での指示なのだろう。
 となると、次はどこで戦うかを考える。
 相手は棒を持っている。
 棒術の相手と戦ったことはあるが、武器を持たないスタイルの自分とは余り相性は良くない。
 まぁそれを言ったら相性の良い相手など居ないに等しいのだが。
 相手のリーチを考えると森の中で戦う方があれを振り回せなくて危険は減るだろう。

(けど、そりゃお互い様だよな。こんな足場の悪いとこじゃなぁ)
 ひょい、と木の根を避けて軽くジャンプする。
 今の速度は本来のジェイの出せる速度よりも随分と遅い。
 相手の武器の危険を減らすか、自分の機動力を活かすか、頭の中で天秤にかける。
(まぁ、なるようになるか)

 ジェイはそう結論付けるとザッ、と明るい方へと走り抜けた。
 そのまま川原を少し走って開けた場所で立ち止まる。
 女もすぐに追いついてきて少し離れて立ち止まる。
「あら、止まったのね。ここでやり合おうって事?」
 ジェイは改めて女をよく観察した。
 ポニーテールの茶色の髪にきつめの顔立ち。
 丈が長く、袖が大きく広がり、胴周りは動きやすく絞った道着のような服を着ている。
 ジェイと少し似たスタイルだ。
 防具は少ない所を見ると、やはり同じように機動性重視なのかもしれない。
 武器らしい物は手に持っている棍だけだ。
 武術学部に棒術の科はあるけれどこんな女いたっけ、と考えたが心当たりはなかった。
「拳闘科のイージェイでしょ? 名前聞いてるわ」
「そりゃどうも」
「私はアロナよ。よろしくね」
 女は聞いても居ないのに勝手に名乗るとにっこりと笑った。
 だがジェイには何の興味も湧いてこない。
「別によろしくしたくもされたくもないから」
「あらぁ、随分冷たいじゃない。もっと優しい男かと思ってたのに」
「生憎そんな気分じゃなくてね」
 アロナは面白そうにくすくすと笑ってヒュン、と棒を振り回した。
 威嚇のつもりか、とジェイは面白くなく眺める。
 こんな所でもたもたと女と遊んでいる暇は無いのだ。

(……バチが当たったかな)
 ジェイはふとそう思った。
 昨日アーシャの話を聞いた時、ジェイはそれで楽だったのかと思っただけだった。
 楽で助かったな、とすら考えたのだ。
 自分の才能を示す、などと口では言っても、本当に自分に並々ならぬ才能があるなんてジェイは思っていない。
 もしそんなものがあるなら、無理な課題にわざわざ挑戦しなくても親は既に納得しているだろう。
 だから、アーシャの助力で簡単にシャルと自分の自由が手に入るならそれでももいいじゃないかと思ったのだ。
 そんな怠けた事を考えたから、バチが当たって今こんな面倒な事になっているのかもしれない。
 挑発するように軽くステップを踏む度、アロナの髪が揺れる。
 茶色い髪は今のシャルを思い出させた。
(昔はあんなに紅かったのに)

 シャルは、自分にもそうなった理由を話さなかった。
 それが少し悔しい。
(こんなに頼りないままじゃ、当然か)

 ジェイはス、と前へ一歩踏み出した。
 ヒュッと即座に突き出される棍を上半身を軽く反らして避ける。
「はぁっ!」
 高い気合の声と共に次々と棍が突き出されたがどれも比較的単調な攻撃だった。
 棒自体も重いものではないらしく、攻撃自体もスピードはあるが軽い。
 次々と繰り出される突きを上体を左右に振って避けていく。
 避けられるものはそうして避け、際どいものは籠手で弾いた。
 何度目かの突きをパン、と籠手で逸らして一歩間合いを詰めた。
 次の瞬間、弾かれた棍がくるりと回転して斜め下から戻ってきた。
 パッと身を引くとその鼻先を棍が掠める。
「すばしこいね、あんた」
 くすくすと笑う彼女に合わせて笑うように、ひゅぅ、と棍が大きく弧を描いて鳴った。
 こちらの反応を見て遊んでいるようにも見えて大変面白くない。
 アロナは間合いを戻して手の先でくるくると棍を回す。
 突きで様子見をしていたらしいがそれはこちらも同じことだ。
 籠手で受けた感じからしても急所を突かれない限りは大したダメージにならなそうだった。
 軽く打たせて懐に入り込んだ方が早い、とジェイは判断した。
 サイドステップを踏んで今度はこちらから相手の動きを誘う。
 左右に意識を振らせると今度は先ほどとは違う動きで棍が降って来た。
 くるりと回し、振り下ろし、跳ね上げ、突く。
 見本のような動きは隙が少ない。
 けれど素早さには自信があるジェイはそれらの全ての攻撃を簡単に受け流し、避け、機を狙う。
「ちょろちょろと!」
 ヒュッ、とアロナが幾分深く踏み込み、大きく突きを出してきたのをジェイは見逃さなかった。
「ハッ!」
 ぐっと左に体を沈め突きを避けた瞬間、棍に向かって右足を出す。
 パン!と棍を大きく蹴られたアロナはそれに引きずられて体勢を崩した。
 その隙に一足で間合いを詰め懐に飛び込む。
 固く握られた拳はアロナの胴に吸い込まれる、はずだった。
 チカ、と銀色の輝きが一瞬視界に入る。
「っ!?」
 それが何かと認識する前に体は勝手に動いていた。

 ザシュッ!

 右頬と右耳に熱い感覚が走る。
 思わずバッと飛びのくと、ぱたぱたと赤いものが川原の石の上に散った。
「あら、浅かったね、残念」
 そっと触れて確認すると、右頬を斜めに切り裂かれたらしかった。
 傷は耳をも掠めている。
 体が勝手に反応して顔を傾けなければもっとざっくりやられていただろう。
 相手の手元を見ればそこにはいつの間にか細身のナイフが握られていた。
 アロナはそれをひょいひょいと片手で放り投げて遊んでいる。
 ジェイが間合いに入った一瞬に棍から片手を離しどこからかナイフを取り出していたらしい。
「隠し武器……暗器使いか。あんた、特殊戦闘科か?」
「うふふ、当たり」
 油断した、とジェイは内心で舌打ちした。
 どうりで棍の攻撃が軽かった訳だ。
 もっと早く気づいても良かったことなのに。
 棍は相手にそれを印象付けて油断させる為の手の内の一つだったのだ。
 恐らくはあの広がった袖の奥に何本もの武器を隠しているのだろう。
「あの罠もあんたか?」
「あれは違うわよ。私はあんなに陰険じゃないもの。あれは同じクラスのライの仕事よ」
 どっちもどっちだ、と思うがそれはこの際どうでも良い。
 特殊戦闘科の生徒は厄介だという。
 同じ武術学部の科の一つだが、その科は人数も少なく、教室も奥まった所にあるため他の科との交流は無いに等しい。
 彼らは基本的に他の学科とは合同授業を設けないし、学部主催の武闘会などにも出席しないから情報が少ないのだ。
 アロナがライと呼んだ人物のように、罠などを得意とする人間もいるとは聞いていたが、そういった話が噂の域を出る事は少ない。
 罠のように直接の戦闘に向かない技中心の者もいるし、彼らの強さは自分の手の内を出来る限り明かさない事が大前提の場合が多いから、学園から大会参加を免除されていて大会に出てくるのは希望者だけだ。

「どうりで、見た事ない顔な訳だな」
「そーよぅ。大会に出られないとか、他の科の生徒と戦えないのって結構退屈なのよね。今回の実習も別に期待してなかったけど、我侭お嬢様のおかげで役得だったわね」

(……特戦が歪んだ人間が多いって噂、本当だったのか)

 ケラケラと笑う女はどこか危ない空気を漂わせている。
 逃げた方が早いかもしれない、と考えて思わず一歩引いた足元にタン、とナイフが刺さった。
「っ!」
「あら、だめよ、逃がさないわ。もっと私と遊んでくれなきゃ。走り出したらその背中がちょうど良い的になるから、覚えておいてね」
 内心を見透かされて思わず唇を噛む。
「あんたの逃げ足と私のナイフ、どっちが早いかしらね?」
 にっこりと笑う笑顔がどこか恐ろしい。
 恐ろしい女はシャル一人で十分なのに、とジェイは内心で愚痴をこぼしながらこの場を切り抜ける手を考えていた。
 棍とナイフ相手では流石に徒手空拳ではやり辛い。
 かといってあまり手間取って無駄な時間もかけるのも困る。
 ジェイは相手のような武器をこれといって持たないスタイルだ。
 空手での動きは極めれば全ての武器の動きへと通じるから、体がもっと育つまではとことん基本をやれ、と昔通っていた道場の師に厳しく言われたからだ。
 ジェイの武器らしい物と言えば、せいぜいが自分の拳を守る為と、打撃力を上げる為に付けている金属板が張られた籠手くらいだった。
 自分の手足の長さの間合いしか持たないジェイの方がどう考えても不利だ。

 アロナは、間合いを保ったまま仕掛けないでいるジェイを、警戒してためらっているものと思ったらしい。
 フン、と鼻で笑って棍を持ち替えると自分から仕掛けてきた。
 タッと走り出し、一息に間合いを詰める。
 ブン、と斜め下から振り上げられた棍を体を反らしてジェイが避けると、一拍遅れてナイフが飛んできた。
 左肩を狙ったそれをキン、と固い音を立てて籠手がはじく。
 軽いナイフくらいならちゃんと受け止めれば弾くのは簡単だ。
 避けた、とジェイは思った。

 ガツッ!!

「ッツ!?」
 かわした、と思った次の瞬間右肩に衝撃が走った。
 振り上げた棍がすぐさま打ち下ろされたのだ。
「チッ!」
 ジェイは舌打ちをしてすぐに間合いを離した。
 肩の関節を狙った一撃は重くはなかったが痛いところに入っている。
 右手にジン、と痺れが走る。
 アロナの戦術の変化にジェイは少し感心した。
 両手で勢いをつけて斜めに振り上げ、瞬時に右手を離してナイフを投げる。
 ナイフが手を離れた次の瞬間には、再び棍に手を戻しそれを振り下ろす。
 それだけの動きを瞬く間にやって見せたのだ。
 棍が随分と軽い、と思ったが、動きを早くするためにそれ自体が軽く作られているらしい。
 ナイフの間合いの狭さ、棍の間合いの中の弱さをお互いが上手く補っている。
 敵が離れた時の投擲の腕もかなりのものだ。
 一つ一つは軽いが、手数の多さと急所や間接を狙った攻撃を得意としてくるようだ。
 これは一筋縄ではいかなそうだ、とジェイは認識を改めた。
 考えている間にもまた棍が飛んでくる。気がつけば防戦一方でどう見ても押され気味になっていた。
(あれしかねぇかな)
 出来れば使いたくない手段を思い出す。
 万一に備えて、何時でも道具は持っているし、多分できると思うが、実戦で使うのはこれが初めてだ。
 いつもはディーン相手に訓練しているだけの手段だ。

『やる時はためらわずきっちりやるのよ! 凡人に手段を選ぶ権利なんかないのよ!』

 脳裏を聞きなれた声が過ぎった。
 そうだ、迷ってる場合じゃない。
 これ以上遅くなったらきっとこっぴどく怒られる。
 怒ったシャルは何より恐ろしい。
 駆けつけた時の第一声まで簡単に想像できる。

『遅いわよ、ジェイ!』

 行かなければ。
 自分とあいつの自由のために。
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