4:彼女の返答


「……」

 シャルは思わず自分の耳を疑った。ここ数日反対の言葉ばかり聞きすぎたせいで、ついに耳が自分の都合のいいように聞き違えたのかと一瞬疑う。
 それほど、アーシャの声はあっさりしたものだったのだ。
 これはまずもう一度確かめなくてはならない。
「あの、《森》へ、行ってもらえる?」
「だから、いいよ」
 ……どうやらシャルの聞き間違いではなかったらしい。
 だがしかしそれにしても答えがあっさりしすぎている。
 もしかしたら編入生だから《森》を知らないのではないか? そうだ、そうに違いない! とシャルは結論を出した。
「貴女……ちゃんと《森》を知っているの?」
 自分の考えを確かめるべく、シャルは恐る恐るアーシャに問いかける。
 その問いにアーシャはコクリと頷くとこめかみに右の人差し指を当ててすらすらと答えた。

「うん。《森》って、風の森の課題のことでしょ。
 風の森:学園から山脈沿いの街道を北東に徒歩で二日程の所に位置する学園所有の原生林である。
 山脈に沿う形に分布する広大な森は主に広葉樹で構成され、様々な有用植物や希少動物の存在が確認されている。
 山脈の形からその森にだけ吹き降ろす風の影響を受け独自の生態系が築かれており、風の性質を持つ生物や植物が多い。
 密猟対策などの為周囲には結界が張られており学園の野外実習や薬草などの採集に使われている。
 土地の性質上炎の広域魔法の使用が固く禁じられている。
 森に入れば野宿するしかなく、危険な動物も多いため野外実習の場としての人気は低い。
 課題は森の結界に設けられた入り口から進入し、山脈に突き当たる最深部にある石碑の文字を記録するものが一般的である。最深部まで到達するには山歩きに慣れた人間でおよそ四、五日かかると言われている。
 三年次でも選択できるが難易度は極めて高く、人数制限がかけられている。挑戦するには十分な装備が必要である。
 現代魔法史アウレスーラ学園の章、二百五十七ページ参照」

 当たっている。
 この上なく正しい知識を披露され、三人は言葉もない。
「……すげー、教科書覚えてんの?」
 ジェイの問いかけにアーシャはこくりと頷いた。
「けど、それだけちゃんと知っててそれでも一緒に行ってくれるの? 危険もあるってわかってる?」
 シャルのその問いにアーシャは首を傾げた。
「一緒に行ってくれるか聞きに来たんじゃないの? 嫌だって言えばそれでいいの?」
「それは……」
 確かに、一緒に行ってもらえるならば有難い事この上ない。
 しかし、目の前の人物があまりにも小柄で、態度もあっさりしすぎているから逆に不安になってつい何度も確かめたくなってしまうのだ。
「退屈してたからちょうどいいよ。どうせ野外実習は近場の森で野宿して薬草採集とかにするつもりだったし。自分の身は自分で守れるし、野宿も山歩きも慣れてるから気にしなくていいよ。風の森は面白そうだから一度行ってみたかったんだ」
 それが本当なら願ってもない事だった。
 ジェイとシャルはひとまずその言葉を信じる事にして、ようやくほっと胸を撫で下ろした。ともかくこれで課題に挑戦できる。
「幾つか質問したいのだが」
 と、そこでディーンが口を挟んだ。
「何?」
「君は何歳だ?」
 ディーンの質問は唐突ではあったが他の二人も気になっていた事だった。
 野外実習の課題には基本的に年齢制限はなく、実習を受けられる学年ならば良しとされている。
 しかし彼女はあまりにも小柄で、もしかしたら学校側は難色を示す可能性も考えられた。
「んーと、じゅう……十二かな。もうすぐ十三になるはずだよ」
 十二歳、と呟くとディーンは黙ってしまった。
 他の二人も驚いた顔で少女を見つめる。自分達より三歳も年下だったのだ。確かに、そういわれれば少女はそのくらいの年齢に見えた。それは本来ならば基礎学部の六年くらいの年齢と言う事だ。
 飛び級したにしても随分と早すぎる。
「上級学部に編入したのか?」
「うん。十歳の時にここに来て、試験受けて上級の一年から入った」
「よく許されたわね……」

 いくら実力があれば編入飛び級に寛大だとは言え、実際それほど対象者は多くはない。
 一つの科目だけ飛びぬけて優秀でも、たとえば他の科目の単位や、体力が著しく不足しているなどの場合飛び級が許されない場合もあるからだ。
 そのまま学院に残って専攻を極める研究員になる事を決めている場合などは許されるが、学生が外に職を求めるつもりである場合は様々な面で水準を満たすか審査され、正当な理由もなく(たとえば弟子入りなどの)飛び級や卒業は許されないことになっていた。
 水準に満たない生徒を安易に卒業させて学院の出身者の評判を落とさないためだ。
「なんか基礎学部の問題から始めて、いっぱい色々試験受けさせられたよ」
「魔法実技も?」
 基礎学部の卒業試験にも基礎的なものだけだが魔法や武術の実技の試験がある。
 その才能の有無によっては該当する学部への進級を諦める事を勧められたりもする。
「うん、受けたよ」
「それなら君は少なからず魔法を使えると言う事だが、どのくらい使える?」
 それは三人とも知りたい重要な事柄だ。
 自分の身は自分で守ると言ったが、それでも相手の実力がわからなければいざと言う時支障が出る。
「うーん……検定とか受けてないから良くわかんないけど、ここの一年生並みくらいは使えるのかな? 編入の時魔法科を勧められたから」
 勧められたにも関わらず魔技科にいるという事は彼女はその勧誘を蹴ったということだ。
 生徒に人気が高く人数の多い魔法科は途中編入はかなり難しい。そこへの入学を勧められたならかなりの実力があると思って間違いはない。
 だがそれを蹴って魔技科へ入る生徒には果たしてどのような理由があるのか三人はますます疑問に思う。
「ねぇ、じゃあなんで魔法科じゃなくて魔技科にしたの? 普通魔法科でしょ?」
「そうなの? なんで?」
 シャルの問いに逆に問いで返した少女は心底不思議そうな顔を浮かべていた。
「何でって……そりゃ、魔法科の方が強くなれるし、人気があるから……」
 才能があるなら魔法科の方が出世の見込みも高い。
 そう付け加えたシャルの答えにとアーシャは、へぇ、と気のない返事を返した。
「別に出世とか興味ないし……不便なく使えればそれでいいよ。それに魔技科だから魔法勉強できないって訳じゃないもん」
 それは確かに一理ある。
 魔技科にも沢山の魔法関連の授業は含まれているし、生徒は望めば科や学部を跨いで授業を選択することも許されている。
 結局、彼女の実力は定かではないが、気負った所や卑屈さが欠片もないところを見ると本当にそれなりには使えるのだろうとディーンは判断した。
 話す言葉は簡潔だが、話は通じるし頭も良いようだ。
 自分の能力もきちんと把握した上で、この話を受けているように見える。
 これなら、戦力になるかどうかは置いておいても少なくとも足手まといにはならないだろう。

 上級学部の一年生くらいの実力だと仮定すると、魔法協会が行っている魔法能力の検定試験で言うところの八から七級くらいになる。
 十二段階に規定されている位の、中の下と言うところだが全く役に立たないほどではない。
 魔法に関しては三学年トップのシャルが居ることだしなんとかなるだろう。
 ちなみに魔法検定は光、闇、火、水、風、地の各種六属性、さらに、詠唱魔法、精霊魔法、紋陣魔法、神聖魔法、媒介魔法など、魔法種別ごとに受験できる。
 個人の魔力は家系や生まれ育った環境などの要因で得意とする属性や種別が分かれることが多い為、特技を活かせるようになっているのだ。
 上級三学年の生徒は五から六級を持っていることが多い。
 シャルも得意と思えるものは定期的に検定を受けている。
 そんなシャルからすれば、才能があるのにそれを学ぶ事もせず、検定も受けていない目の前の少女は随分と珍しく、また勿体無く感じられるのも事実だった。

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