28:森の怒り |
『森よ!』 響いた言葉は簡潔だった。 だが森はその言葉を確かに聞き届けた。 突如シャルを取り囲むように地面から緑の壁が立ち上がり彼女を飲み込む。 彼女に襲い掛かった光の帯はその壁に激しく衝突し閃光を放った。 「きゃあっ!?」 上がった悲鳴はシャルではなくコーネリアのものだった。 光が弾けたと思った次の瞬間、辺りを激しい突風が襲ったのだ。 コーネリアは耐え切れずにその場にしゃがみ込んだ。 一瞬の激しい光はすぐに治まったがその風の強さに目を開けることも敵わず、その場の誰もが必死で踏ん張ってそれに耐える。 その突風がようやく治まった後、顔を上げて瞬きするコーネリアの目の前に立っていたのは、びっしりと蔦が絡んだ緑のドームだった。 そこはさっきまでシャルが立っていた場所だ。 「何ですのこれは!?」 完全な彼女の勝利だったはずだ。 光の網は今度こそシャルを捕らえ、無力にする予定だったのだ。 シャルにはもうこんな壁を用意する暇は絶対になかったはずなのに、とコーネリアは歯噛みした。 それが何なのか確かめようと一歩踏み出した直後、バサッ、と大きな音がしてその壁の向こう側に生えている大木の天辺近くの枝葉が激しく揺れた。 「な、何?」 バサバサバキドサバサメキ、と不吉な音と共に枝の揺れは見上げた木の一番上から段々と下に下りてくる。 そして最後に、ドサッと音を立てて、木の一番下に張り出した太い枝に何かが落ちてきて引っかかった。 「なっ、何ですの一体!?」 「アルシェレイア!?」 振り向いたディーンの目に映ったのは木の枝に引っかかってぶらんと二つ折になっている少女の姿だった。 全員が突然の闖入者に驚き、ぽかんとそちらを見つめた。 「い、いたた……うぅ、けほっ」 見つめる全員の目の前でアーシャはもそもそと頭を上げ、体をよろよろ起こすと木に座りなおした。 その髪にも体にも葉っぱや枝が絡みつき、あちこち擦り傷だらけだ。 「あぁ、痛かった」 「……」 皆が声も出せずに見つめている中、アーシャは気にした様子もなく辺りを見回す。 「……間に合った、かな?」 安堵に満ちた小さな声がコーネリアの耳に届いた。 コーネリアはその声で正気を取り戻した。 「あっ、貴女は!」 それは食堂でコーネリアを激しく侮辱した(と彼女は思っている)憎たらしい少女だった。 「貴女が邪魔しましたの!? せっかくの私の勝利を!」 アーシャはコーネリアの言葉に眉をしかめた。 「弱ったシャル相手に勝利だなんて、随分安っぽいんだね」 少女の言葉には遠慮がない。 パチン、とアーシャが手を叩くと地面から生えていた蔦達はしゅるしゅると姿を消し、目の前の緑のドームがゆるりと開く。 シャルはその中に無事に立っていた。 「アーシャ!」 「ごめんね、遅くなって。」 シャルはその言葉にぶんぶん首を横に振った。 少女は森の最奥に行っていたのに、今ここに来てくれたことだけでも奇跡のようだ。 「この人たち、何してるの?」 その質問にはディーンが答えた。 「自分達の食料が足りなくなったのでこちらを襲って奪おうとしたのだがな、君が奥地に行った事を知って今度はその成果が欲しいらしい」 「そんな理由で皆を襲ったの?」 呆れた、とアーシャはため息を吐いた。 アーシャが見回せば、シャルはひどく具合が悪そうだし、ディーンは怪我をしている。ジェイも頬に怪我しているし他にも何か様子がおかしい。 そんなくだらない、自分勝手な理由で皆をこんなに傷つけたのかと思うとなんだかすごく腹立たしかった。 「理由なんてなんだって構いませんわ! とにかく、石版の写しをよこしなさい!」 ギリ、と弓を引き絞る音がした。 ライがこれ見よがしにディーンを狙っているのだ。だがディーンは弓を間近に突きつけられても顔色一つ変えていない。 どうしてか、何とかなるような気持ちが仲間達の中に湧き始めていた。 彼らは静かに木の上のアーシャを見つめた。 アーシャはキッと目の前のコーネリアを睨みつけ、宣言した。 「変な頭の人、シャルや皆を苛めたから気に入らない」 「変な頭……! ふ、ふん! 気に入らないからなんですの!? 魔技科の貴女が私に勝てるとでも?」 コーネリアはいきり立って杖を少女へと向ける。 杖も持たない、魔法学科でもない少女など敵ではないという態度だ。 アーシャは珍しく少し怒っていた。 コーネリアがアーシャに気を取られている隙にシャルはそっとアーシャがいる木の下まで移動してきた。 アーシャはちらりとその姿を見る。 シャルは木にもたれかかって荒い息を吐いているが、杖を構えたままだ。彼女はまだ戦う気持ちを失っていないし、いざとなればアーシャをも自分が守る気でいるのだ。 (シャルはこんなにがんばってるのに) アーシャは自分の中に湧いた怒りに任せて、コーネリアに向かって、細い指を突きつけた。 「見せてあげるよ。学校じゃ教えてくれない、ご当地魔法」 「は? 何ですの、それ!」 鼻で笑う彼女を無視してアーシャは空を見上げるとすぅ、と息を吸う。そして大きな声を出す時にするように両手を頬に当てた。 何を仕掛けるつもりか、とコーネリアも油断無く構える。 アーシャがおもむろに口を開いた、直後―― 『―― 助けてぇーっ!!』 少女の悲鳴は高らかに森に響き渡った。 シン、とした空気が辺りに満ちる。 「……は?」 誰もが、一体今のは何だったんだ、と思った次の瞬間―― 「ディーン、そこに伏せて!」 突然の指示にディーンは反射的に剣を引いてその場に伏せた。 一瞬周りの二人の行動が遅れる。 バンッ!! 「グェッ!?」 「キャァッ!?」 突然、ライとアロナが吹き飛んだ。 二人は同じ方向に強く弾き飛ばされごろごろとその場に転がる。 二人を殴り飛ばしたもの、それは―― 「……き、木の枝?」 ディーンは伏せたまま上を見上げて呆然と呟いた。 なんと彼らのすぐ脇に立っていた大木がまるで腕を振るうようにその枝をブンと振ったのだ。 避ける間もなくそれに殴られた二人は大きく吹き飛ばされて転がり、痛みに呻いている。 「なっ、なっ、何をしまし――キャアァァァ!?」 コーネリアは疑問を最後まで口にする事が出来なかった。 突如視界がぐるりと回り彼女の世界の全てが逆さまになる。 「キャッ、キャァァァアァ!?」 「コーネリア!?」 エナが引き止める間もなく彼女の足に絡んだ蔦はコーネリアの体を逆さ吊りにした。 激しく悲鳴を上げて手足をばたつかせたが持ち上げられた体は自由にならない。 生乾きのローブが重力に負けてばさりとひるがえり、ベシャっと彼女の顔にかかった。 コーネリアのローブの下はなんとこんな森の中なのに制服だった。 そのスカートもあられもなくバサリと落ちてくる。下に短いスパッツを履いていたのがかろうじて彼女の救いになった。 「くそ! か、風よ! その鋭き牙を――!? なっ、なんだこりゃぁっ!」 風の刃で蔦を切ろうとコードは呪文を唱えようとした。しかしやはりそれを最後まで唱えることはできなかった。 彼の構えた杖の柄にぽこりと小さな瘤ができたかと思うと、なんとそこからにょきにょきと芽が伸びたのだ。 「わわ、わぁぁ!?」 芽はめきめきと音がしそうな勢いで伸び、枝を広げ葉をつけ、更にその腕を伸ばす。 学生用の木の杖は見る間に立派な若木になってしまった。 「お、俺の杖がぁっ! この、この!」 コードは慌ててその枝をむしりとろうとしたが、逆にしなりをつけて向ってきた枝に往復ビンタをかまされとうとう杖を放り投げた。 「くっ、よくも!」 「変な魔法を使いやがって!」 どうにか痛みを振り払って立ち上がったアロナとライは、この不気味な現象の原因と思われる木の上の少女へ向かって走り出した。 しかしその目の前に緑の蔦が現れ、更にそれは彼らの行く手を阻むようににょろにょろと広がっていく。 「こんな蔦!」 そう言ってそれに手をかけたアロナは悲鳴を上げた。 「キャッ、やだ、なにこれ! いた、いたたた!」 「いってぇ! こ、この、離せって!」 先ほどと同じように見えた蔦は、しかしただの蔦ではなかった。ごく小さな緑色の棘がびっしりと生えた茨のようなものだったのだ。しかもそれがぱっと見ではわからないような細かな棘だったのが二人に災いした。 いつの間にか足にも絡みついた蔦が動こうとする二人に更なる痛みをもたらす。 二人は暴れようにも上手く行かずその場に釘付けにされ、それでも小さなナイフで必死に最後の抵抗をし始めた。 しかしそんな彼らの頭の上にまたも木の枝が振ってくる。 ライは慌てて身をかがめ、アロナは何とかナイフで足元の蔦を切り、転がってそれを避けた。 しかし彼女が転がった先の地面からぽこり、と何かが顔をだす。 彼女の前に顔を出したもの――真っ白い大きな茸は、驚く彼女に向かってばふ、とたっぷりの胞子を振り掛けた。 「ふぁ」 その胞子を避ける間もなくしっかりと吸い込んだアロナは、場違いな欠伸を一つするとかくりと倒れ、すやすやとその場で眠り込んでしまった。 人間達のささやかな抵抗をあざ笑うように、今や森のすべてが彼らに牙を向いていた。 地面に伏せたままのディーンは呆然とその騒動を見つめていたが、突然その胴にひゅるりと蔦が絡みついた。 「!?」 ディーンは一瞬慌てたがそれは棘の無いもので、しかもそっと彼を持ち上げるような仕草だったので暴れるのを止めた。 見れば動けずにいたジェイも同じように蔦に巻きつかれそっと運ばれていた。 蔦はするするとリレーをするように優しく二人の体を運び、アーシャが座っている大木の枝まで行くとそこに彼らを下ろした。 シャルもいつの間にか木の上に持ち上げられ、座ってこの騒ぎを眺めている。 四人の目の前で今やコーネリアはぐるぐると蔦に振り回されて眼を回し、コードはバシバシと自分の杖に叩かれて追い立てられ逃げ回っている。 アロナは地面に倒れてすうすうと寝息を立て、ライは茨の檻にすっかり包まれてそれでも必死で茨を引き剥がそうとしているが全く逆効果のようだった。 エナはと言えば、コーネリアを助けようと杖を構えた直後に木の上から大量に降ってきた毛虫にたかられ、泡を吹いて一人気絶している。 「……恐ろしい」 「ほんとね……」 ディーンとシャルはその光景を眺めながら、アーシャの言う所のご当地魔法の恐ろしさを思い知っていた。 この森という範囲に限られているとしても、そこの全てを支配すると何ができるのかを見せ付けられたのだ。 今までも不遜な振る舞いをしてきたつもりはないが、これからはその土地を支配するものにはさらに十分な敬意を払おうと心に決める。 そんな二人の決意をよそに、この事態を引き起こした少女はもはやそっちには興味なし、とばかりにジェイの容態を見てやっていた。 アーシャはジェイの眼をまじまじと覗き込み、うん、と一つ頷いた。 「治るか?」 「大丈夫、眼は無事だよ。あのね、ジェイが魔法に細かい限定をしなかったからいつもやってる事を精霊が勝手にやろうとしたんだよ。でもジェイの意識がそっちに向かなかったから、結局上手く働けなくて眼に宿ったままになってるみたい」 そういうとアーシャはジェイの目をそっと両手で塞いで意識を集中させた。 『開放を』 ぽぅ、と塞いだ手の平の下から淡い光が漏れた。 光が消えたのを確かめてからアーシャはその手を外す。 ジェイはゆっくりと目を開けてぱちぱちと瞬きを繰り返した。 「お〜、見える! 普通に見える!」 辺りを見回すジェイの言葉にシャルはほっと胸を撫で下ろした。 「ディーンの肩は?」 アーシャはそういうとディーンの隣にひょい、と移動した。 その肩の布をそっと取って傷を検分する。 ぱっくりときれいに切れた為、見かけは元通りくっついているように見えるが、周りに固まった血が傷の深さを物語っていた。 「結構深いね」 「大した事はない。魔法薬があればすぐ治るだろう。それを取りに行ってからで大丈夫だ。」 「ううん、今治すよ。『森よ その癒しの力をここに』 」 アーシャが傷に手を当てるとそこに緑の光が灯る。 「回復魔法も使えるのね」 「ん、森の中なら力を借りられるから一応はね。でもあんまり使わないよ。頼りすぎると体に良くないもん」 アーシャの手の下でディーンの傷は見る見るふさがっていった。 その肩に走るむず痒いような感覚が治癒している事を彼に伝える。 ついでにアーシャはジェイの顔や肩、シャルの膝も治してやった。 三人にそれ以上の傷がない事を念入りに確かめると、アーシャは最後に自分の体のあちこちにできた打ち身や擦り傷におざなりに触れた。 痛みがすっかり消え、ディーンは軽く肩を回した。 完全に傷がふさがった事を確認するとアーシャに礼を告げた。 「助かった、ありがとう」 「ううん。でも結構血が出ちゃったみたいだから、しばらくは静かにしててね」 アーシャが手に持っている布はまだ軽くない。簡単に乾ききらない量の血を吸った証拠だ。 ディーンは頷くと地上に目を向けた。 「さっき叫んだ古代語は呪文か?」 「んー、呪文ていうより、助けてって叫んだだけ」 「……助けてって」 そのあまりの単純さにシャルは頭痛が増す気分だった。そんな魔法の使い方聞いた事もない。 「でも結構面倒なんだよ。声を聞いて集まってくれた精霊に意思を飛ばして、やって欲しい事はちゃんと限定しないとだし」 「参考までに聞くがどんなこと頼んだんだ?」 「えーと、敵を倒す事と、殺しちゃだめって事と、味方を助ける事、かな?」 全然難しそうに聞こえないのは何故だろうと三人は思う。 たったそれだけの指示で目の前の事態が引き起こされたかと思うと尚恐ろしい。 「でも多分あの人達、森の中で好き勝手やってたんだと思うよ。森も怒ってたもん。楽しそうに仕返ししてるよ」 森に敬意を払ってここまで歩いてきて本当に良かった、と誰もが思った。 「……ところで、そろそろ止めてやった方がいいと思うのだがどうだろう?」 いつの間にか、地面の上にはもう動くものは居なくなっていた。 「よいしょっと、これで最後だな。リタイア、っと」 ジェイは言いながら気絶したままのエナのバッジを押し、彼女の姿が光に包まれて消えるのを見送る。 全員気を失ってしまったコーネリアのチームを学園に送り返す作業はようやく最後の一人まで終了した。もう日は西の空に大分傾いている。 事情を書いた手紙を添えて送り返したが、帰った後はまた面倒な事になるだろう。 それでも、ひとまず自分達がまだここに居られる事に誰もが安堵していた。 ジェイは辺りを見回してからアーシャと並んで野営地へと戻る。 シャルとディーンは一足先に帰して休むよう言ってある。 辺りにはまた鳥の声や虫の声があちこちから響いていた。 あんなに暴れまわった蔦は跡形も無く消え、木の枝も、生えてから一度も動いた事など無いとでもいうように静まり返っている。 ジェイが見たのは後の方だけだが、シャルやディーンがそうっと森の中を通っていった所をみるときっとよほど恐ろしい光景だったのだろうと思う。 「……魔法って、いろんな事ができるんだな」 「ん?」 「嫌ってて、損したかなって思ってさ。結局苦し紛れで呼んだ精霊も暴走させちまったし」 アーシャは首を傾げた。 「でも、ジェイならその気になればすぐに上手くなるよ。あの光すごかったもん。森の一番奥からも光の柱が見えたよ」 「ははは、そっか。って、そういえばアーシャはどうやってここまで戻ってきたんだ?」 「んー……それは後で話すよ」 そういうとアーシャはそれ以上は語らず黙ったまま歩く。 ジェイもしばらく黙って歩いていたが、意を決したように顔を上げた。 「なぁアーシャ、今度さ、俺に魔法教えてくれねぇ?」 「私が?」 「頼むよ、帰ってからでいいから。精霊魔法得意だろ? 俺は他の魔法は端から諦めてんだけどさ、今回みたいなことになったらやっぱ笑えねぇし。それに…」 そこまで言ってジェイは声を潜めた。 「シャルに教わるともんのすげースパルタなんだよ」 「……いいよ」 くす、と笑いながらアーシャは頷いた。 「やった! よろしくな!」 ジェイはうれしそうにアーシャの右手を取るとぶんぶんと振り回した。 アーシャが初めて触れたジェイの手は、少年らしい彼の見かけに反してごつごつして固かった。 小さな手に触れる幾つもの固いタコが彼の長い努力を物語っている。 「……きっと、魔法も上手くなるよ」 アーシャはシャルと同じ、明日の為の努力を怠らない少年を眩しそうに見上げて告げた。 間に合ってよかった、と素直に思えた。 彼らのその努力を無駄にしないで済んだのだ。 夕暮れの森にはいつの間にか煮炊きをする良い匂いが漂い始めている。 長い長い一日がようやく終わろうとしていた。 |
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